映画「福田村事件」ネタバレありまくりの感想文

  去年公開された映画「福田村事件」、とても観たかったんだけどうまくタイミングが合わず、観られないうちに公開が終わってしまった。でも今年5月、池袋の新文化坐でアンコール上映が。早速行ってきました!
 早速というには日が経ってしまったのだけれども、(観たのは5月26日、今日は6月9日)感想を書きたいと思います。(うまく伝わるかな…)

 っていってるハナから家に映画のパンフレットを忘れて来たというね。そのパンフレットの後半部には、映画の脚本が掲載されていて、あとは、作り手側(出演者含む)の対談か鼎談で終始するという内容の濃い一冊の書籍だった。私はそれを読んで、そのあとこの映画の「原作」ともいえるノンフィクション「福田村事件」(辻野弥生/著)を読んで、それでやっと感想を書きましょうかと思い立ったわけなのです。本読むの遅いので、二冊を読了するまで今までかかったというわけです(なお、パンフレットは帰宅してから再読することが出来ました)。

 前置きが長いな。

 では早速本題に入ります。
 この映画はノンフィクション映画ではないです。時系列は事実と同じですが、登場人物の名前などは全て仮名、事実とは異なる人物やエピソードも出てきます。ですが、映画で語られた全てのシーンに、当時生きた人々の行動だとか、見たであろう風景だとかが丁寧に織り込まれたドラマであると感じました。
 去年2023年は関東大震災から100年目だったわけですが、この話はその数日後に千葉県福田村というところで起こった悲劇を描いています。
 以下簡単に事情を書きます。
 1923年9月1日午前11時58分に起こった関東大震災(相模湾沖を震源とするマグニチュード7.9の直下型地震)によって、壊滅的な被害を受けた東京・横浜ですが、その直後から人々の間を駆け巡った流言蜚語(りゅうげんひご)によって、各地で多くの朝鮮人がいわれもなく惨殺されました。
 福田村事件は、在郷軍人、村の青年団が組織した自警団、それにごく普通の村の人々が、朝鮮人であると思い込んで日本人を大量虐殺した事件です。ですが事件後、加害者側、被害者側がともに口を噤んだことで、戦後も長い間知られなかった事件でもあります。勿論今回初の映画化です。

 震災発生から5日後の9月6日、香川県から薬の行商に来ていた一行15人が地元民たちに襲われ、うち9人が命を落としました。(幼児・妊婦含む、その胎児を含めると10人)
 映画では、この行商隊が故郷を出発するまでの村での暮らしから、関東に向かう旅の様子、福田村の村人たちのさまざまな事情と心情、そしてそれをいわば外側からの視点で伝える、朝鮮で教職についていたが辞めて故郷に戻ってきた澤田智一と静子の夫婦、千葉日日新聞の女性新聞記者・楓。それらの人たちが皆震災を経験し、福田村へやってきた行商人一行の事件の渦に巻き込まれていく。そんなふうに観ました。

 香川県の故郷の村で、彼らはエタと呼ばれる被差別部落民でした。旅をしながらハンセン氏病の患者たちに、ガマの油ならぬ「薬」を口八丁で売りつけていく行商人の若い親方は、新参者の信義(13歳)にこう言います。
「わしらみたいなモンはのう、もっと弱いモンから銭とりあげんと生きていけんのじゃが。悲しいのう」
 今でいうところの貧困ビジネスでしょうか。ですがこの時代は、一般人の人権さえ保証されていなかった(日本で普通選挙法が施行されるのは震災後の大正14年(1925年)、しかも男子だけ。ちなみに同年成立した治安維持法と抱き合わせ)。癩病と呼ばれたハンセン氏病患者は根拠のない「感染病」と噂され、罹患すると集落から追放されました。
 そんな社会で被差別部落民が職を得るのは非常に困難だったことは想像に難くありません。そうでなければ香川県から遠く千葉県まで荷車を押しながら徒歩で行商に来るような暮らしはしないでしょう。
 マイノリティの暮らしや習俗としては、私は日本では昭和40年頃までは居たといわれている「サンカ」と呼ばれた無戸籍の旅する人々を思いだしますが(沖浦和光著/「幻の漂白民・サンカ」など)、彼らが竹籠や笊を修繕することで賃金を得て別な土地へ向かうのとは違い、被差別部落の人々は、ただひたすら謂れのない差別をされて生きた、暗さと閉塞感とを覚えます。
 そして15名の行商隊を、被災地でいつまでも足止めさせることは経済的に出来なかったと推察される親方は、泊まった木賃宿の女将が止めるのも聞かずに行商を再開するのです。
 一方、震災当日からばら撒かれた(映画中では亀戸署の刑事が変装して自転車に乗り、言って回っている)流言により「朝鮮人が襲ってくる」ことに怯える福田村の人たちは村を守るために自警団を組織します。

 利根川の渡守と不倫している、夫を兵隊に取られた女、夫が戦地へ赴いている間にその父と関係を持った女、東京に出稼ぎに行ったまま戻らない夫を、背中に赤ん坊を背負ったまま不安な思いで待つ女。それらの事情が、村のなかでは空気のように伝播し、さんざん詮索され、だが共同体維持のために、これら全てを抱えたまま生活が続いていく。
 そこから突き抜けたように、村はずれで農業を始めた朝鮮帰りのハイカラな澤田夫婦。真実を書きたいのに許されない若い記者・楓。

 いつか朝鮮時が襲ってくるのではないかという、震災以来毎日続く緊張感が、故郷に帰ろうとした行商人一行を村人の一人が誰何したときに、まるで膨らみきった風船がいまにも割れるような疑心暗鬼と殺意とを作り出します。
 行商人達は正式な通行証を持っていたのにも関わらず、彼らの話す讃岐弁を解しない村の誰かが「鮮人じゃないか」と言いだしたところから、人々は火がついたダイナマイトが急坂を転がるように彼らを「不逞鮮人」と決めつけ、叫び始めるのです。
 以前にも暴動をしかけ、一度は村長はじめ村の顔役に説得されて収まっていた彼らでしたが、今回はすぐに半鐘を鳴らし、駆けつけてきた村人(行かないと村八分になる、と家族に言われて来た村人もいた)たちとともに、凶悪な雰囲気になっていきます。
 ぴんと張り詰めた緊張状態が続きます。行商人一行は自分たちが朝鮮人と間違われて殺されるかもしれない恐怖、そして村人たちは政府から通達のあった不逞鮮人が、自分たちを殺すのではないかという恐怖を持ち、対峙します。
 年若い村長が「この人たちは日本人だ」と必死に弁護するなか、駐在は証書を確かめに自転車を走らせ、行ってしまいます。

 その瞬間、村人達を捉えた集団ヒステリーが空気を凍らせます。一触即発の雰囲気が流れる。そのなかで村人一人ひとりの表情から徐々に人間らしさが消え、行商人一行をまるで物でも見るように変化していきます。 
 行商人一行は、朝鮮人が苦手とされた濁点のついた日本語を言わされ、君が代を歌わされ、歴代(神世の時代まで遡る)天皇の名を言わされ、それでも朝鮮人だと決めつけられます。
 彼らは針金で首と手をくくられ、座らせられます。
 このあたり、観ているこちらも、息をするのもしんどいほどの緊張感でした。
 殺意の同調圧力が漲った喧騒のなか、澤田夫婦が前に出て、前日に薬を売りに家を訪ねた二人を覚えていると叫びます。
 智一が叫びます。
「この人たちを知っています! この人たちは日本人だ!」
 ですが、集団ヒステリー(或いは一種の恐慌状態)に陥った村人達はもう誰も聞こうとしません。
 やがて行商人の一人が一向宗のお経を唱え始め、それが大きなうねりとなって、そのまま水平社(部落開放運動団体)宣言へと続いていきます。かなり難しい文言です。ですが、死を覚悟した人々の放つ言葉は一言一言が重く地面に突き刺さるようでした。
 でももはや殺すタイミングを待っているとしか思えない村人たちに、この言葉は伝わらない。野に放たれた獣のように騒ぎ立てる村人たち。
 たまりかねた村人の一人が口を開きます。
「ホントにあの人たちが日本人だったらどうすんだよ! おめえ、日本人を殺すことになんだぞ!」
 そのとき、行商人の親方が立ち上がり、決定的な事を言うのです。
「朝鮮人なら殺してええんか!」

 その瞬間、彼は赤児を背負った無表情の女に、小さな斧のような鳶口で額を割られるのです。ざくっと果物を割るような音がして、親方が地面に倒れた瞬間、ついに緊張の糸が切れ、村人たちは行商隊に飛びかかる。
 その惨劇と人々の狂気を後押しするように、画面からは太鼓が激しく叩かれる音が響くなか、逃げる行商人達を追って村人が日本刀で斬って殺す、撲殺する、猟銃で打つ、残酷極まりない、もう殺しのオンパレードです。
 やがて駐在が戻ります。証書の確認が取れた、この人たちは日本人だと言って虐殺をやめさせます。
 生き残ったなかの一人に、13歳のあの信義がおり、ラストは彼のアップで幕切れでした。
 
 終演後は体中の力が抜けて、エンドロールが完全に終わってもしばらく立つことが出来ませんでした。
 
 そして、よく言われているように、もし今、或いは近い将来に、東京で関東大震災並の地震が起きたら、と思いました。
 今は、どのマンションも耐震・免震設計されているので地震が起きても大丈夫と当たり前のように言われているし、インターネットの普及で情報が切断されることはないようにも言われています。
 ですが、それは深い海の、凪いだ表面をただなぞっているだけではないかと思えます。
 そういえばご存じでしょうか? 東京スカイツリーが建造された理由を。
 地震で首都が壊滅的被害を被ったときに、『東京(だったところ)の目印』にするためだそうなのです。
 と、私に説明してくれた方が、何を根拠にして語ってくださったのかは分からないし、どこかに確認を取ったわけでもないので、実際本当のところは分かりません。それをいわゆる都市伝説のようなものと片付けてしまうのは簡単でしょう。ですが、もし、今大災害が起きたら、インターネットが機能しなくなったら、……。
 私達は、百年前にこのことがあったことを、何はなくても知っておくべきだと思いました。

 話は少し飛びますが、昨年11月に公開された映画「鬼太郎誕生・ゲゲゲの謎」で、狂骨(いう悪鬼)となってしまった小さな男の子がやっと成仏するときに「僕に何か出来ることはあるか?」と鬼太郎に問われたその答えを思い返しました。
 彼は「忘れないで」と言ったのです。
 百年前に市井の、恐らくは普段はごく普通の人であったろう人たちが、こんな恐ろしい殺害を集団でしでかしたこと、しかも加害者は一度は入獄しますが、数年後の大正天皇崩御の際に、全員恩赦で無罪放免されていることを、忘れてはいけないと思うのです。

もしも、今東京で震災が起きたら、何が出来るか。
映画を見てからずっと考え続けています。
やはり『知ること・知っておくこと』だと思います。集団的なリンチや虐殺は、何があっても駄目!!です。そのために知っておきたいです。この国には言論の自由があり、知りたいことを知ることは無料で手に入る社会なのですから。

 関東大震災の復興と足並みを揃えるようにして、社会主義者や無政府主義者が弾圧されていったこと。大震災発生から程ない9月16日には、無政府主義思想家の大杉栄と、内縁の妻・伊藤野江、大杉の甥である橘宗一(6歳)が憲兵隊に連行されて、憲兵大尉の甘粕正彦らによって殺害され、遺体を井戸に捨てられた事件が発生したこと。
 
 震災がきっかけとなり起きたこれらの事実を、忘れてはいけないと、今回この映画を観て強く思いました。

 全ての日本人に観てほしい映画だと思いました。

以上です。拙い文章の上に、いつもとだいぶ違う書き方になってしまいました。ご静読ありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!