エッセイ【チート設定は慢性的な評価不足から誕生していると思った話】
唐突な主張ですが、私は『チート設定』の物語が嫌いです。
大嫌いです。物語の構成的な部分で高く評価されていようと、内容が面白かったとしても『チート』というだけで嫌です。
理由は簡単です。
不公平だからです。
ゲームを一度全てのダンジョンをクリアした状態のレベルと経験値で、何も知らない初期のダンジョンを自分だけ一度クリアしたレベルで攻略できるなんて、狡い。
ゲームの話なら楽々終わるだけですが、物語だと初期設定からその強さでは勝つのが当たり前だし、勝つことが前提の話をどう飽きさせないで読ませるかむしろ難しく私は感じてしまいます。
それも、チート設定を持っているのが敵ならばまだいいのです。
そのチートをいかに攻略するかによって、主人公の魅力を描くことに深みが出ます。
主人公だけが最初から強かったり、逆に周りが異常に弱かったりすると、違う意味で物語が成立するのかなという気持ちになるのです。
あと、根性論のつもりでいうのではないのですが、
「ちょっとは頑張ろうよ……」
という気持ちになってしんみりしてしまうのです。
その能力は格好いいかもしれないのに、能力・力の示し方が、格好良く無いのです。
誤解の無いように書いておきますが、私はチート設定の物語を作ることや、書いている方を否定する気持ちは全くありません。
むしろ、最初にチートという要素が生み出されてから、もう時間が経っていて、初期の頃のチートでは読んでもらえないような、ある意味ジャンルとしての「古典」になっているとも思っています。
その「古典」「皆が知っている」ものをどう新しく面白くしていくかを、書いている方々は工夫しているわけですから、チートを書くことを否定する気持ちはないのです。
ただ、私が問題に思っているのは、
『チート設定が生まれて、受け入れられた背景』
なのです。
だって、この設定が受け入れられているということは、
『自分が持っている能力・本来誇るべきこと・日頃の努力や頑張りが正当に評価されていない人がたくさんいる』
ということです。
私が改まって書かなくても、
『何気なく持っていた特に価値も感じていなかった力が実はとてもとても強かった』
『異世界(もっと定義すると、主人公が理不尽を強いられている世界と違う環境)に行ったら、低く評価されていた自分の特技が必要とされた』
チートがヒットという形で共感を得ているということは、誰もが慢性的な評価不足だということは明らかです。
この記事の結論を言って仕舞えば、
『皆、もっと自分や周りの人を軽率に褒めまくろう』
という一言で終わるくらいです。
(でも、記事全部読んでもらえたら嬉しいです)
私は『チート=能力』とする訳がしっくりこないのと、普通に卑屈なので『チート=狡い』として続きを書きます。笑
努力・頑張り・すでにある能力。
これらが正当に評価されていない・提供した場合に見込まれる正当な対価としてのお金になっていない、そういう方がたくさんいるから生まれたヒットだと思うと、私はチート設定が嫌いなくせに、その嫌う気持ちと同じくらい切なくなります。
もっと自分のことも他人のことも褒めるべきだと私は思うのです。
私は他人の悪いところを見ていても自分の精神衛生上良く無いと思っています。
だったら、自分の周りにいる人・関わりがある人のいいところや凄いところを、疲れない範囲で見つけて見つめて、言葉にして伝えなくても心の中で軽率に、
「あの人の、こういうところ、すごいなあ」
と思って過ごしています。
伝えられるような関係性の相手ならば、言葉にして伝えますが、全ての相手がそういった関係性とは限らないので、そういうときは心の中で呟いておくのです。
これは他人の創作物に感想をあまり言わない人に対しても似たことを思うのです。
『褒めたら、何か減るのですか?』
私の疑問はこれだけです。
……誰かのことを褒めたって、何も減らないですよね。
身体の体積が削れる、とかいうルールがあるというのなら考えますが、別に誰かを褒めたり感想を送ったりすることで、残念なことに体重は減らないのです。褒めたところで痩せません。
むしろ、褒めれば相手のMPが回復するでしょうし、相手の中で自分の株と存在感が上がるだけだと思います。
「あいつ、私を褒めたから嫌い」
とはなかなか受け取られないと思うのです。卑屈でもここまで褒め言葉を変換されることはないと思います。
些細なことでいいと思います。
些細な良さを、なかったこと・当たり前のことにしてしまうのが問題なのだと思います。
綺麗事かもしれません。でも私は、自分が言っていることが綺麗事だとわかっていて、その上で「綺麗事をただの綺麗事ではなく美しいことにする」ための主張をしていくことはいいことだと思っています。
最後に、ゲームの話を少し書きます。
私は昔、ゲームソフトの本体に外付けして、コードを入力すると、ゲームのルールを無視してアイテムを手に入れたり、簡単に攻略ができるソフトを持っていた話を書きますね。
ポケモンをずっとやっていたときに、
「色違いのポケモンしか登場しなくなるコード」
とかを打って色違いポケモンを乱獲したり、
「一つの草むらにピカチュウしか出てこないようするコード」
を打ってピカチュウだけを捕まえたりできるような、ゲームに外付けするソフトがあったのです。
(ピカチュウに限らず、コードをいじれば他のポケモンも出せる。草むらでレックウザとかに会えるようになる。笑)
私にゲーマーの知人はいないのですが、ゲームをする人の観点で、
「物語におけるチート」
に対してどんなふうに思うのかを聞いてみたいです。
きっと、ゲーム設定のチートと、物語のチート設定は、全然違うと思うのです。
それでも、物語のチートは、やはり慢性的な評価と承認不足に思えてならないのです。
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