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エッセイ【学校は自己肯定感を食い荒らす】

私の最終学歴は『子供の家』という場所です。
詳細は割愛しますが、私は必要なことの全てを、この子供の家で知って、見つけて、自分のものにしました。
私の本を買ってくださっている方は奥付にある自己紹介に、最終学歴を『子供の家』であることが明記されていることを知っていると思います。
最終学歴として、私は一生その場所のことを伝えていたい。
私は今、とても幸福ですが、子供の家にいた時はもっと幸福でした。
何処へ行っても泣いていた私を、そこへ導いてくれた母に感謝しています。
私が自慢にしていることの一つが、子供の家で教育を受けたことです。私は子供の家という系譜の、国を持たない子供の遺伝子を持っている。

そんな「特別な場所」を持っていたことが、ある意味不幸の始まりだったのかもしれません。
小学校から高校まで、私は子供の家で素敵なことの全てを学んできたことを咎められるように、孤独と虚無を養いました。
苛められたし、苛められたから戦ったし、女の子って汚いなとも思ったし、友達は人生に不要なものだと思った。普通の小学校に行ってしまったのが、元々変なところがあった私には、失敗だったのでしょう。
※子供の家の系列の小学校は私が知っている限り、私が小学校にあがるときにはありませんでした。

私は学校が嫌いでしたし、もう縁がない今も嫌いなままです。
学校は嫌い。教師も嫌い。何なら学校にいい思い出がある人も嫌い。
坊主憎けりゃ何とやら、というのは個人的に良くないと思っているのですが、学校だけにはそう割り切れません。

学校は、自己肯定感を破壊する施設です。
常に、出来る子の長所と自分の短所を比べられて、直せと強いられる。
いいところなんて、誰も見てくれない。
何なのでしょうか、あの謎ルールは?
自分の苦手なことを、何故かそれが得意な人と比較される。

これはとても、ナンセンスです。
だって、帽子と靴を比べてどちらがすごいか決めるようなものではないですか。
何を言っているのか分からない。

『あなたの帽子と、私の靴、どっちが優秀だと思う?』

帽子と靴で例えを続けますが、そもそも役割が違う個体に対して何を言っているのか。
理科の実験でも、対照実験に使うものは、検証する部分以外は同じ条件に揃えますよね。
同じクラスの子供たちは、皆違う親から生まれて家庭環境も違って、好きなことも得意なことも違って……ここまで書いていて、当たり前すぎてうんざりしています。

でも、学生くらいの年代は自我が形成されると同時に、作られる過程にあるから脆いのですよね。この比較が酷いナンセンスだと、学生の年代で理解できる人の方が少ないと思います。
私は、数値化された苦手なことを見せつけられて『駄目な子の烙印』を血が出なくなるまで焼鏝を押されたと思っています。
先生はその科目が得意だからその教科の先生なので、苦手な子の気持ちなんか分からない。
数学の20点のテストの結果を見て、駄目だから、私できないから直さなきゃと、思っていた私を抱きしめに行きたいくらいです。今の私だったらコンパスの針で教師の目を刺してるかもしれない。私が可哀想すぎる。

私が行っていた学校は、今思うと劣悪だったのかもしれません。
進学校だったのに。一応、私は中学を受験して進学したのですが、進学校にしては酷い学校だったなと思います。
私は別に、勉強ができる子ではありませんでした。何で受験に合格してしまったのかと言いますと、受験が5教科ではなかったからです。
私たちがさせられたのは、

1・課題に沿った作文(書いてほしそうな内容が分かるテーマだったのと、十歳の頃から文章をがっつり書く習慣があったから余裕)
2・グループワーク(初対面の人とは上手く接することができる謎スキルを発揮していた)
3・面接(当時の私は人前で話すのが大好きだったので、苦ではなかった)

この3つでした。
面接は結構意味不明でした。何を評価されているのか分からない質問ばかりだった。質問内容はあまり覚えていないのですが、当時の私は将来は探偵になりたいと話して、会えるなら紫式部に会ってみたいと語り、母を尊敬していると答えていたことは確かです。とにかく、勉強ができなくても受かってしまうことがあるということが伝われば嬉しいです。

小学生の時は苛められたから戦ったりしていたので、同じ子たちと同じ中学に行きたくなかったのですよね。疲れていたのでしょう。
環境を変えたくて、私は中学を受けました。

でも、進学先は比較・比較・比較。
他に何かあったかなと言った感じです。
私がいうのも何ですが、性格が悪い子がたくさんいました。
意地悪とか、苛めがあった訳ではないのです。一番性格が悪いと私が思ったのは
『勉強をしているのに、勉強をしていないと公言して好成績を常にとっている子』
しかもそういう子は教室で勉強をしていたり参考書を読んでいる子を遠くから見て笑っているのです。すごく覚えています。
普通に頑張っている子の努力を笑うなんて、いくらいい成績を常に取っている子でも、私にはすごい子だとは思えなかった。
いっそ、苛めがあったり荒れていると目に見える方が、ましだったかもしれない。陰湿だったのですよね。性格の悪さが。
勉強をしていないことを口先だけで競っていた。気持ちが悪かったです。

勉強だけでなく、運動だって比較しかありませんでした。
放課後にスポーツクラブで習い事をしている子ばかりが高評価を受けていました。
でもそれだって、放課後に練習をしているくせにできるのは当たり前なのです。習っている子ができているのは当然です。褒められる価値なんてない。当たり前の水準が違うのです。
私は大人になってから、体を動かすことが嫌いではないと知りました。
他人事のように書いていますが、大体、自分よりもはるかにできる人と比べられて楽しいいわけがないじゃないですか。誰もいなくなった時、私は気分転換に有酸素運動としてランニングをしたりすることが好きになりました。

学校は目立つ子にしか人権がない世界です。
教師という名の看守に媚びを売るのが上手い「不必要なムードメーカー」と、目立っていると言ってもその目立ち方が異性との親和性だけで測られる人権を持っていた子たち。
恋愛を青春にできることはいいことかも知れませんが、それをしていない子たちを暗に見下す空気が嫌だった。何が好きだっていいと私は思うし、逆に恋愛だけが学生のステータスだと思っているとしたら幼すぎると思います。そもそも学校は色気付くところではないです。

私に青春があったとしたら、それは小説を書くことと鬱屈でした。
小説を書くことを愛していて、皆が嫌いな自分だけが好きだった。
今っぽく「陰キャ」と言っても救えないレベルのダークサイドをうろうろしていましたが、私はそれで幸せでした。
何故なら、それが私の居場所になっていたからです。
小説を書くことが、私の帰る場所になっていました。

比較にさらされ、宿題をしても時給は出ない、先に生まれただけの教師に横暴な扱いをされる施設。そんな学校を生き抜くのには、学校ではない世界を持つことが大事だと思います。
酷いことを付け加えると、私は教師という職業はお金をもらって自分より経験値がない人間を説教できるなんていい仕事だなと思っています。ごめんなさいね。

私にとっては、それが小説でした。
そして、個人サイトという居場所がありました。

居場所がなければ作ればいいじゃない。
そんな精神で、よく分からないタグを打ちながらホームページを作っていた頃が懐かしいです。
それこそ、今ではSNSがあります。
上手く使えば、違う場所で同じ目標を持つ子と同志になって勉強を競ったり、同じ趣味を持つ誰かと繋がることだってできる。

居場所を学校だけにしないこと。
SNSは例えの一つなので、学校ではないコミュニティーなら何でもいいのです。

学校は、何年前に生まれたシステムなのでしょうか。
考えたことはありますか?

今の子が生きているのは、学校制度が作られた時代ではないのです。
今時、長所伸展をしないのは遅れすぎている。
短所を克服したところで、それは元々得意な子には及ぶ要素になりません。
私は、そんなことを続けている施設に心を削られる子が一人でも減って欲しいです。

あなたは、何も間違っていない。今学生をしている子に言いたいです。
何が苦手だろうと、他にできることはたくさんあるのです。どうかそちらに、目を向けて楽しんで欲しい。

学校という制度を、生き抜いただけで素晴らしいのです。学校という牢獄を卒業した方に言いたいです。
あんな場所にいて、大人になってから「自己肯定感」なんて言われても今更すぎると思うのが普通だし、大人になっただけで社会的弱者を抜け出た偉業はなされているのです。

学校に限った話ではないのかも知れません。もしかしたら。
自己肯定感を食い荒らされるような環境があったとしたら、すぐにそこから離れることができなくても、他に居場所を見出すこと。
世界は一つではないし、自分を大事にしない場所を大事にしたりすがる必要はないのだと、今の私は強く、思っています。

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