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Piano man

これは私の記憶に残された或る人のお話です。

 毎年、夏休みになると、私は両親の故郷である地方都市に家族で帰省するのが慣わしでした。
母方の実家には祖母と伯父、義理の伯母と従姉妹達がいて、子供ながらに少々居心地の悪い気持ちで数日を過ごすのです。

 そんな何度目かの夏のことです。

5つ年上のいとこは高校生になり、思春期で両親と対立するようになっていました。その人は美しくて聡明でとても優しい人でした。

母の実家に滞在する私の所在なさに気がついたのか、いとこは私を気にかけて話しかけてくれました。

「どんな音楽が好き?」

私は都会育ちの少々おませな小学生で、当時は洋楽に傾倒していました。

「ビリー・ジョエルが好き。」

そう答えると、いとこは鼻歌でピアノマンを歌ってくれました。
おひさまのような眩しい笑顔で。

その夏、わたしといとこは一緒に海で泳いだり、お菓子を焼いたり、花火をしたりと、いつもと同じだけれど、私にとってはいつもと少し違う一夏を過ごしたのでした。


 それから10年近くが過ぎて、

いとこは東京で女子大を卒業して実家へ戻り、私は大学生になって実家を離れ、一人暮らしをしていました。

いとこが実家から飛び出したかったように、私もまた自分の家の居心地の悪さに耐えきれず、わざと家からは通えない大学を選んだのです。


成人式が近づいた年末に、珍しく母から電話がありました。
それはいとこの死を知らせる電話でした。


いとこは心を病んでいて、
無理に連れ戻された実家で自ら命を絶ったのです。
そんな予兆を誰にも悟られずに。


あれから何十年もの月日が過ぎ、
それでも時々私は思い出すのです。
あの夏の日の、彼女の美しい笑顔。
眩しそうな横顔。
口ずさんだメロディー。


 いとこを知る人たちは徐々に少なくなり、
私は歳とともに余計に感傷的になり、
このささやかな記憶を何処かに残しておきたい気持ちが強くなり、
今、ここに書き残しています。


何故、あなたのことを忘れられないのだろう。
たった数日間の記憶なのに。


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