ウサトモ
なんか書いたやつ。
気分を1枚にして。
クズしかいない世界って、考えたらすぐに答えは出るのだけれど。 正解は政界。 もはや、ダジャレで茶化しておかないと、もう本当にクズすぎて笑えない。 ボクは、政治家が好きではない。 中には、良き人もいるのかもしれない。 でも、本当に良き人がいるのならば、今の日本は、存在しないと思う。 どこの政党がどうだとか、どの政治家がああだとか、そういう次元の話は、もうする必要もない。 それくらい、政界は腐っている。 腐りきっている。 社会なんて、本来は思いやりの塊なのだから、それも
柄にもなく、絵を観に行ってきた。 時にボクは、芸術というものから、琴線に触れる何かを得たとき、ひたすらに恐ろしくなる。 音を聴き、目で見て、鼻で嗅ぎ、口を動かす。 手を触れ、足で歩き、胸の鼓動を鳴らし、頭をいっぱいにしていく。 それは全て、想像に繋がる。 あれ、これ、それ。 どれもこれも、想像される、何かに繋がっていく。 それは、途方もない。 それらがプラスになるとき、人はきっと、歓喜の声をあげるのだろう。 身体中で喜怒哀楽を覚え、しかしながら、最後はどう足掻いても、
noteの規約を、改めて見てみたのだけれど、 禁止事項に、 (6)他の利用者を不快にさせる行為を行うこと っていうのがあって。 じゃあ何を書けばいいの?ってなっている。 他人の行動や行為なんて、100人中100人が気持ちが良いはずはないし、っていう子供の言い訳じゃなくて、ボクは自分の過去を描いていこうと決めたものの、それは自分自身が最も不快なもので、それって他人にとって、益々不快ってことにはならないかな?って、ふと。 過去という、ある程度は無制限な事実の中には、少なく
随分と前になるけれど、1日1回のペースでネット上にブログ記事を載せていた。 でも、そのスペースは、もうない。 自分で消したのか、プラットフォーム自体がなくなったのかさえ、覚えていないような、自己満足の塊みたいなものだった。 そのときから、もちろんボクは文章のプロでもないし、いわゆるブロガーなんてものでもない。 理由もなく、あるとしても、それは単に「暇だからな」ってだけで、今思えば、よくもまあ続けていたものだと、我ながら感心してしまう事実だ。 2000年代も、あっという間に