旅ぃゆけばぁ〜 #1
☆越中、越前 北陸の旅
もう別れたが、2番目の妻とは随分と旅行に行った。
全ては過去の幻想と風化してしまったが、旅先での風光明媚は我が心の記として永遠に残るであろう。
思い立って北陸まで足を延ばしたことがあった。
平成中期、未だ独身を謳歌していた時代の事だ。
旅館の宿泊付きがパッケージされたバス旅行にハマっていたのでそれを活用した格安プランだったと記憶している。
昔は越中と呼称されていた石川県から旅は始まりおキマりの観光コースを廻るのだが、一箇所大体30〜40分と言う過密スケジュールだった。
最初は金沢兼六園を巡った。
加賀前田家の豪華な庭園を散策、加賀城址は服部良一が戦後訪れてここで浮かんだメロディが直後にヒットした♫東京の屋根の下 で当時人気No.1だったハイカツこと灰田勝彦に歌わせて成功した。
もう一曲は時代を越えて今も演奏されている♫胸の振子 でこちらはディックミネの声域で思案して浮かんだ曲想だったという。
しかし当時の服部はコロムビアとビクターからしか発売出来なかったから仕方なくコロムビアの霧島昇で吹き込ませたと、素直に苦しい胸の内を後年自伝でカミングアウトしていた。
言われてみれば、♫胸の振子 はバリトン歌手でないと苦しい音階だ。
しかし、几帳面さが売りの霧島の歌はやはりこの歌を表現するには余りに固い。
根っからのジャズ気質のディックミネがこれを歌っていたら…と想像するのは実に楽しい。
テレビなどで実現可能なようだが、ディックがこの歌を歌っている動画は今の今まで見つからない。
風光明媚な場所は名曲のインスピレーションには絶好の場所なのであろうか。
北陸の、特に日本海沿には荒波で削られた景勝地が少なくとも二箇所ある。
石川県には「ヤセの断崖」があり、ここは確かに生きた心地がせず、名前の由来となった正に"ヤセる思い"をしたものだった。
昭和36年1961年公開の松本清張原作の松竹映画「ゼロの焦点」で一躍有名になる。
主人公が岸壁に立つシーンは画的に詩情豊かであった。
以来、サスペンスの定番となる犯人が逃げて岸壁に立つ、印象的なセリフを喋る、追い詰める刑事の必死の説得 と言う定石パターンはこの映画から始まった!
そんな景勝地を後にして一泊目の多田屋に辿り着いた。
和倉温泉で人気No.1の旅館と言えばやはり加賀屋旅館だろうが、ここは松本清張がこの「ゼロの焦点」を逗留して書いた旅館としても有名である。
が、比較的格安な多田屋も全ての施設が綺麗でプチセレブな気分に浸れた。
二日目は富山から福井の旅である。
富山は市内を二路線の市電が走る静かな街という印象、富山の薬売りは昔からの伝統的商売で市内にも観光用と思しき古びた薬商の店舗が軒を連ねる。
手取り早く富山観光を終えいざ、越前福井へ。
禅寺でもその修行が最も厳しいと言われている永平寺へ。
フランスのミシュランガイドでも堂々の二つ星を獲得する⭐️⭐️世界的観光地だ。
伝統の樹齢500年の杉木立の間に見える建物は唐門で一般には未公開だったが外から見ても迫力がある。
観光客の立寄り所や研修施設なども備わっている傘松閣(さんしょうかく)の二階にある150畳の大広間があり絵天井の間と呼ばれており、昭和初期に144人の絵師により描かれた天井絵230枚が
嵌められていて、圧巻の見栄えである
永平寺で我が国悠久の歴史に暫し浸ってから最後、奇岩の景勝地 東尋坊へ行った。
東尋坊の火山岩は白色の斜長石の斑晶や暗緑色の普通輝石・紫蘇輝石の斑晶を含む東尋坊安山岩で、マグマが冷えて固まるときにできた五 - 六角形の柱状の割れ目(柱状節理)がよく発達している。
この柱状節理の規模の大きさが地質学的に極めて貴重であるとされ、昭和10年(1935年)に国の天然記念物・名勝に指定された。
ヤセの断崖とは岩質は大きく異なる。
こちらもサスペンスドラマで頻繁にロケ地として使われている。
東尋坊の名前の由来は昔、平泉寺には数千人僧侶がいた。その中にいた東尋坊という僧は、怪力を頼りに、民に対して悪事の限りをつくした。東尋坊が暴れ出すと手がつけられず、誰も彼を押さえることが出来なかった。東尋坊はまさにやりたい放題、好き勝手に悪行を重ねていたので、当然のように平泉寺の僧侶は困り果てていた。また東尋坊はとある美しい姫君に心を奪われ、恋敵である真柄覚念(まがらかくねん)という僧と激しくいがみ合った。
そんな寿永元年(1182年)4月5日、平泉寺の僧たちは皆で相談し東尋坊を海辺見物に誘い出す。一同が高い岩壁から海を見下ろせるその場所へ着くと、早速岩の上に腰掛けて酒盛りが始まった。その日は天気も良く眺めの良い景色も手伝ってか、皆次第に酒がすすみその内、東尋坊も酒に酔って横になり、うとうとと眠り始めた。東尋坊のその様子をうかがうと一同は目配せをし、真柄覚念に合図を送った。この一同に加わっていた真柄覚念は、ここぞとばかりに東尋坊を絶壁の上から海へ突き落とした。平泉寺の僧侶たちのこの観光の本当の目的は、その悪事に手を焼いた東尋坊を酔わせて、高い岩壁から海に突き落とすことにあった。 それから49日の間、海は大荒れとなったと言う謂れがある。
近くには東尋坊タワーなるこの景勝地を上から俯瞰できる施設などもあり中々気が効いている。
当時の職場の上司や同僚らにお土産で富山の薬を買って行き好評を得た記憶があるが、細々とした記憶は飛んでしまい、自分史にしては薄いものとなってしまったことをお許し願いたい。
※一部ウィキペディアより引用