エイコロンボ

好きなことしか書きたくない。時代遅れが丁度いい。古いことから現在(いま)を斬る、古くて新しい着眼点コラム。音楽、文学、紀行文、社会に映画にメディア論、文化コラム。終わりまで続きます👍

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最近の記事

新昭和回顧録 #1

☆一人一殺 血盟団  昭和7年1932年2月9日  政友会犬養(いぬかい)内閣が衆議院を解散、その総選挙が行われているさなかに事件は起こった。  先の若槻民政党内閣の蔵相であった井上準之助はこの夜、東京ニ区民政党公認候補、故浜口雄幸元首相の親戚にあたる駒井重次の政見発表会に出向いた。  駒井と二人、車に乗り込んで会場である本郷駒込追分の駒込小学校の裏門に着いて車を降りた。  8時4分過ぎであった。  5、6歩歩いたとき、出迎えの群集の中から、突然、一人の男が飛び出した。  

    • 演歌の源流 #12

      ☆仁木他喜雄2️⃣ 演歌の源流 # 19  このマガジンの1回目の前回では昭和10年までの作品を取り上げたので今回はそのつづき。    ♫小さな喫茶店 から紹介して行こう。  リアルタイムでも兎に角流行った。  コロムビアの新進気鋭 中野忠晴の甘い独特のクセがある声が仁木のアレンジと程よく溶け合い当時の喫茶店には必ずあった蓄音器で何せよく流されたという。  思わずコーヒーでも☕️飲みたくなる一編だ。  1.小さな喫茶店 : 中野忠晴 昭和10年5月発売   https:

      • クラシックの夕べ #1

        ☆菩提樹 / フランツ・シューベルト    : シャル・ロッテ・レーマン(S)   「菩提樹(ぼだいじゅ)」は、オーストリアの作曲家シューベルトによる歌曲集「冬の旅」の第5曲。 あとでこの歌曲の意訳を掲げる。  唄うはドイツの声楽家ロッテレーマン。  1914年のデビュー以来オペラで活躍して歴史的マエストロ トスカニーニなどから絶賛される。  ブルーノ・ワルターはその自伝のなかでこう語っている。「ロッテ・レーマ

        • シャシンの残照 #2

          ☆虎の尾を踏む男たち/ 黒澤明監督             1952東宝 公開  黒澤明は三本目の監督作品「續姿三四郎」が封切られた月に結婚した。  1945年昭和20年のこと。  黒澤明、35歳。  お相手はその前年に黒澤が監督した映画「一番美しく」に主演した女優 矢口陽子で婚礼は明治神宮式場で行われて、媒酌人は黒澤の師匠 山本嘉次郎監督夫妻。  式の最中に空襲警戒警報のサイレンが鳴ったりして慌たゞしいことこの上ない結婚式だったようだ。  この式の翌朝、米軍の艦載機による

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        • 新昭和回顧録
          1本
        • 演歌の源流
          12本
        • クラシックの夕べ
          1本
        • シャシンの残照
          2本
        • ハットリハウス
          0本
        • 旅ぃゆけばぁ〜
          2本

        記事

          旅ぃ〜行けぇばぁ〜 #2

          ☆盛岡 宮沢賢治とその時代  1990年代後半に当時交際していた最初の妻となる女人と岩手盛岡から花巻に至る旅を決行、予てから好きだった宮沢賢治の足跡を訪ねた。  宮沢賢治は明治29年8月27日、岩手花巻町に産まれた。  仏教信篤の家庭に育ったからか後に法華経信者となるが、浄土真宗信者の父に強く反対され又この時期に最愛の妹トシが病死したことを契機に表向きには国柱会からは遠ざかる。  少年期に鉱石集めに没頭したことから後に地質学についてかなり深掘りして研究に没頭した。  大正4

          旅ぃ〜行けぇばぁ〜 #2

          EUスペサル # 7

          ☆新しいシャツ : 大貫妙子 大貫妙子のデビューは1976年だが、これはソロとしてのデビュー。 それまでは伝説のバンド"シュガーベイブ"でkb cho. Vo. と紅一点の存在感で活動していた。 だからプロデューサーだった大瀧詠一などは後年までずっとター坊と言う愛称で呼んでいた。 と、そもそも今回はEUスペサル。 何故大貫妙子なのか。 この人の紡ぐ言葉はナチュラルで女性ファンの琴線に触れるような言葉で歌い掛けるのだがちっともユーロし

          EUスペサル # 7

          EUスペサル # 6

          ☆Songe D' Automte :ジャンゴラインハルト 前の小稿の回(#4)にもジャンゴの貴重な音源を聴いて頂きましたが、今回も比較的出回ってないジャンゴの数少ないエレキギター🎸の演奏をお聴き下さい。 録音デイトがこのアルバムには記載されていなかったので不確定だけど前回もご紹介したダイアルレーベルに残した録音に編成が極似しているから多分1947年か1953年の晩年の録音かと思われる。 夏よりタイトルから秋の曲らしいがこの音の処理、殊に擬似ステレオがここ

          EUスペサル # 6

          EUスペサル #5

          ☆現金には手を出すな 仏デルデュカ 1954 主演 ジャンギャバンのいぶし銀のクールな銀行強盗はフィルムノワールの代表的作品で、間抜けな仲間のリトンにその間抜け振りを荒っぽい言葉で罵倒するつぶやき的ナレーションは、この後量産される新手法だった。 ギャバンは御歳丁度50歳。 去年のアタクシと同じ年齢だったが、小生はギャバンの風格に足元にも及んでいない。 この映画はそれなりに面白いし、ギャバンやフランス映画ビギナーにはうってつけの作品だが、小生はこの

          EUスペサル #5

          EUスペサル #4

          ☆ラヴ ジャンゴ 1910年にジプシーキャラバンで生まれた。 漂泊の生活が当たり前で両親もバイオリニスト、母親はダンサーと言う芸能一家に生まれたからか、最初はバンジョーに目覚めて12才でバンドデビューする❣️ 1928年、18才の時に住まいのキャラバンワゴンが火事になりジャンゴも左手の薬指と小指をヤケドした。 ウイキペディアにはこの時ジャンゴは火を消そうとして指を負傷した…とあるが果たしてどうだか。 他の文献や解説書を小生もかなり読んできた

          EUスペサル #4

          EUスペサル #3

          ☆ほほにかかる涙 : ボビーソロ 1964 嘗て、カンツォーネと言う時代があった。 サンレモ音楽祭と言うイタリアのレコード大賞 みたいな祭典があり日本で流行るカンツォーネ は大抵これの大賞を受賞している。 謂わば、本国のお墨付き…みたいなもの。 1964年昭和39年はこの曲が受賞して、 これがまた我が国でも良く流行った。 ♫…ノー、ノー、マイ ア ピーポー ノンサペーボロッティー ここに絡んで

          EUスペサル #3

          EUスペサル #2

          ☆イルカに乗った少年 : ソフィアローレン '57 エーゲ海の煌びやかさ いかにもの悪徳詐欺師 たくましい屈強の男に惹かれる美女… 50年代ヌーベルバーグの傑作「島の女」のテーマ曲。 ソフィアローレンの美貌に思わず息を呑む。 哀調のユーロサウンドに傑作映画全盛の時代に想いを馳せる。 映画は海底に眠る"イルカに乗った少年"のブロンズ像を巡り金欲に塗れた詐欺師がソフィアにまとわりつくのだが 若き考古学者がソフィアローレンの弟とタッ

          EUスペサル #2

          シティポップ大全 #12

          ☆元祖シティポップ はっぴぃえんど  小稿#8 はっぴぃえんどの回でははっぴぃえんどの初期活動のことをできるだけ史実に則って書いた。  その後、はっぴぃえんどからキャラメルママを経てティンパンアレー、ナイアガラまでを網羅するFBグループが存在することが分かり、過去記事まで遡って掲載したところ各記事ごとに毎回多数のいいね👍をいただき好評を得ている。  時には100超えの時もある。  又、ナイアガラ専門の「大滝詠一の音楽を愛する会」なるグループもあることを発見して小生のナイ

          シティポップ大全 #12

          EUスペサル #1

          ☆地下室のメロディ C.C.M(仏) '63公開 アランドロンとジャンギャバン。 この二人の共演というだけでフランスは愚か🇫🇷全世界注目の的で有ろう。 アランドロンは戦後を代表するフランスの二枚目スター。 ジャンギャバンは戦前からのフランスの国民的スター。 そんな二人の共演作で詰まらない訳はない。 映画の冒頭、刑期を終え出所してきたギャバン扮するシャルルは元の住まいの近く迄来て、区画整理中の工事で街の様相が一変してしまっている事をぶつぶ

          EUスペサル #1

          シティポップ大全 #11

          ☆電話しても : 村田和人 1982 村田和人が大腸ガンからの転移性肝臓ガンで突然亡くなってしまったのは2016年2月22日のことだった。 一年間ほどの闘病だったが彼はガンを意識しながらも音楽活動を続けていた。 凄い勇気だと思った。 穏やかなその表情に彼の紡ぎ出すメロディからは想像すら出来ない闘志だったと思う。 本日はシティポップの旗手として活躍した村田和人の楽曲を振り返ってみたい。 デビューが1982年だから若手のイメージだったが実は19

          シティポップ大全 #11

          シティポップ大全 #10

          ☆八分音符の詩(うた) : 竹内マリヤ 1977 鈴木茂 1976 鈴木茂ははっぴぃえんど解散後細野晴臣と行動を共にすることになる。 その時点でまだ20歳そこそこでバンド内では一番若かったことからも、4人のメンバー中誰よりもはっぴぃえんどの解散には反対だった。 バンド活動は当面続くものと思っていたし、細野と大滝の小さい確執に気付いていても何処かで大したことはないとさらりと受け流し

          シティポップ大全 #10

          シティポップ大全 #9

          ☆密会のHIGH NOON : 山本達彦 1986 とある休日、中古レコード屋…などと言う気の利いた店などない我が街の唯一のリサイクルショップに行きシングルレコードが無造作に詰め込まれたワゴンで何か良い出モノはないかと漁っていた時に発見した一枚。 ジャケットは貸しレコード店のラベルが思い切り貼られて状態も余り良くなかった。 しかし盤面そのものがちゃんとしていれば問題無いのであって、ジャケットは帰宅してから水を硬く絞ったウエスでゆっくり拭いて、ビニ

          シティポップ大全 #9