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演歌の源流 #12

☆仁木他喜雄2️⃣

演歌の源流 # 19

 このマガジンの1回目の前回では昭和10年までの作品を取り上げたので今回はそのつづき。
 
 ♫小さな喫茶店 から紹介して行こう。
 リアルタイムでも兎に角流行った。
 コロムビアの新進気鋭 中野忠晴の甘い独特のクセがある声が仁木のアレンジと程よく溶け合い当時の喫茶店には必ずあった蓄音器で何せよく流されたという。
 思わずコーヒーでも☕️飲みたくなる一編だ。

 1.小さな喫茶店 : 中野忠晴 昭和10年5月発売
  https://youtu.be/SwK3gwrOHqs

2. あなたの為に : 中野忠晴とコロムビアナカノリズムボーイズ 昭和10年5月発売
  https://youtu.be/6dvEIlmJ7b4

 レコード番号でも2番違い、前曲♫小さな喫茶店 とほぼ同時発売だったこのレコード。
 ステレオ再生で聴ても実によくアレンジされており、本場アメリカの盤でもこれほどクオリティの高いものは見かけない。
 当時コロムビア楽団に在籍していた角田孝の技巧的なギター伴奏が秀逸の出来映えで、よく中野達ナカノリズムボーイズの面々をスイングさせている。
 OPのクラリネット、間奏でのミュートトランペットも出色で全ては角田のギターテクのリズムがしっかりとアンサンブルを支えているせいである。
 そうしたメンバーの個性を踏まえて仁木が敢えてピックアップメンバーを組んだと思わせる。
 戦前ジャズの最高水準の演奏を堪能出来る一編だ。

 3. 暗い日曜日 Sombre dimanche : 淡谷のり子 昭和11年11月発売
  https://youtu.be/tQFWUDD3ZSc

 このタイトルで検索するといきなり自殺ソングとして上がる記事が目につく。
 オリジナルは昭和8年1933年にフランス🇫🇷のシャンソン歌手ダミアが歌った原曲♫Sombre dimanche
でフランスで大流行、そのレコードを聴き乍ら自殺者も出るほど流行った…と言う歴史家の言葉に乗じてそう言う取り上げ方をする。中には都市伝説…などと言って未だにこの曲を聴いて自殺を誘発させようと言う偏屈者もいる様だが、自殺が流行ったのはおフランスでの1933年の事象として捉えるのが正解の様だ。
 全く困ったものだが、"風潮"とはそうやって広まりを見せるので有ろう。
 それにしても淡谷のり子のこの盤も充分おどろおどろしい。
 仁木の編曲力、恐るべし。
 ポリドールレコードから同時期に発売された時にシンガーとして指名を受けたのは東海林太郎であった。
 レコードとしてはそちらの方がもう少しサラリとした風合でシンプルに歌として楽しみたいのであれば、ポリドール盤の方をオススメする。
 このコロムビア盤はしかし、当時入社したてだった服部良一に大いに刺激を与えたらしい。
 服部のコラムのネタバレになるのでここではこれ以上は話さない。

 4. 宵待草 : 高峰三枝子 昭和13年10月発売
  https://youtu.be/uOSfZnd3wv8

 唄う映画女優、高峰三枝子は当時洋風な容姿と姿態で人気ナンバー1 だった。
 戦前の女優は割と洋風美人が多かったが、入江たか子と高峰三枝子は洋風な容姿に加えてスレンダーなボディが売りだった。
 それにプラスして高峰はレコード吹き込みも厭わずこなした。
 東洋英和卒業で特別音楽的素養が高かった訳でもなし。
 やはり父が筑前琵琶奏者の高峰筑風であった遺伝子的素因によるものなのか、本人も自伝の中でそう語っておられたが、こればかりは本人にも説明の付かない持って生まれた素質としか言いようがない。
 昭和11年に父が他界して家計を支える為に急遽の芸能界デビューとなったが、翌年の松竹三羽烏と言われた2枚目男優、上原謙(加山雄三の父)佐野周二(関口宏の父)佐分利信らのマドンナ役で出演した映画「婚約三羽烏」で一躍注目されて、同年の映画「浅草の灯」の中で歌を口ずさむ場面を見たコロムビアレコード関係者にスカウトされる形で、レコードデビューの運びとなった。
 この盤も映画絡みであったが、歌は大正7年に当の竹久夢二が詩を一節書いたものにヴァイオリン奏者の多(おおの)忠亮が曲を付けた楽譜が当時の女学生の間で流行したメロディだった。
 コロムビアはこの曲のレコード化に当たって二番の詞を西条八十に依頼、八十は二番詞を書くに辺り当時はもう他界していた竹久夢二がこの詞を書いたエピソードを色々と調べたところ、宵待草と言う正式な名の花は無く、どうやら月見草を宵待草に見立てて書いたことが判明。
 しかし八十は二番詞で♫宵待草の 花が散る
と書いてリリースしてしまった。
 後年八十は「月見草の花は散らずにしおれてからも茎から離れない。あそこは♫宵待草の 花の露
に変更したい」と仰っていたそうなのでカラオケ🎤でこの曲を唄う際はその様に唄うと八十の霊への悼みになるのでご参考までに。

 
 5. 古き花園 : 二葉あき子 昭和14年6月発売    
  https://youtu.be/8uAsCqhG9HA

 作曲者早乙女光は作曲界の重鎮 堀内敬三に師事して作曲法を身に付けた大船撮影所音楽部員であり当時松竹歌劇団の仕事もこなしていた服部良一がその関係からかは不明だが一発でこのブルースに惚れ込んだらしく、友人のサトウハチローの元を訪れてこの曲に詞を当てて欲しいと懇願された由。
 ピアノで曲を弾く服部に根負けしてサトウと服部とで形にしたのがこの曲だそうだ。
 よって、早乙女本人よりも服部の意向で世に出た不思議な曲だ。
 服部の自伝にもこの事情については書いていなかったものである。
 二葉あき子にとっても初のブルース作品だったので「以前からブルースが歌いたかったから必然的に吹き込みにもベストを尽くした」と語った。
 前奏や間奏などは多分仁木オリジナルのメロディで有ろう。

 6. ビヤ樽ポルカ : 藤山一郎 昭和15年
  https://youtu.be/_Rf_smTIYLs

 本場アメリカ盤ではやはりアンドリューシスターズのレコードが飛び抜けて流行った。
 日本では円熟期を迎えていた藤山一郎の安定のヴォーカルが貫禄すら感じさせる。
 マーチ風な出だしから少しずつジャージーに転換していく仁木オリジナルの編曲でラストチェンジで圧巻のシンコペで聴く者は身体を嫌でも揺さぶらざるを得なくなる。お見事‼️

 7. 嫁ぐ日近く : 高峰三枝子  昭和16年7月発売
  https://youtu.be/zu3A55YA-7Y

 この年仁木は少なくとも二曲の作曲をリリースする。
 一曲はこちら。
 もう一曲は♫めんこい仔馬 でこちらは東宝映画「馬」の挿入歌である。
 黒澤明が師匠山本嘉次郎監督の下でチーフ助監督を務めた記念碑的作品で若き日の高峰秀子が馬で疾走するシーンを圧巻の迫力で追った場面が評価されて監督昇進が決定的になると言うエピソードが残されている。
 ♫めんこい仔馬 は何だか童謡の様なので、「演歌の源流」足り得ないので今回はこちらを取り上げることにする。
 昭和16年はあの太平洋戦争の火蓋が切られた年としてよく認識されているが、厳密に言えば真珠湾攻撃は12月である。
 この年の11月迄は日本とアメリカはギリギリの交渉を継続していたので我々が思うほどアメリカ製ジャズの音楽も比較的まだ規制も緩く、この年一杯まではジャズ風流行歌はまだ規制されてはいなかった。
 これも典型的ブルースで高峰三枝子の小節回しが愛らしい。
 ブルースを流行歌に定着させたのは服部良一の功績だがそれを推し進めたのは服部の先輩作曲家たちであったこともまた事実である。
 このYouTube動画を手掛けた笠原氏には傑作動画が多く選曲もまたマニアックでもある。
 数少ない小生お気に入りのYouTuberでもある。

 8. 高原の月 : 霧島昇、二葉あき子 昭和17年8月発売
   https://youtu.be/hF_dQJOvG5Y

 昭和17年8月と言えば太平洋戦争の天王山とも言うべきミッドウェー海戦が行われていた最中であった。
 8月7日のソロモン海戦で本格化し、日本は悉く敗退してアメリカ軍はガダルカナル島、ツラギ島に相次いで上陸、そして8月24日と11月20日と第二次、第三次ソロモン海戦が展開されたがいずれも日本軍はアメリカの圧倒的な物量作戦の前に屈した形となったことは否定出来なかった。
 その事実を上層部が信じず精神論で乗り切ろうとしたことが悪戯に太平洋戦争を長引かせた要因とも言えよう。
 日本はこの段階で敗戦を潔く認めて和平交渉に臨むべきであったのに。

 平和への祈りを万感の思いで静かに聴きたい曲である。

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