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シティポップ大全 #10

☆八分音符の詩(うた) : 竹内マリヤ 1977
鈴木茂 1976

鈴木茂ははっぴぃえんど解散後細野晴臣と行動を共にすることになる。
その時点でまだ20歳そこそこでバンド内では一番若かったことからも、4人のメンバー中誰よりもはっぴぃえんどの解散には反対だった。
バンド活動は当面続くものと思っていたし、細野と大滝の小さい確執に気付いていても何処かで大したことはないとさらりと受け流してしまう、若さからくる楽天的な考えも手伝ってさして深刻には受け止めなかったから流石に、バンド解散と聞いた時は仰天した。
それでも細野に次のバンド構想を聞かされそこに鈴木のギター🎸はどうしても欠かせないと言われたら、否が応でも胸は踊る。
それがティンパンアレーに繋がるキャラメルママだった訳だが、この話はこれ以上深入りすると他コーナーのネタバレになりかねないのでここら辺にしておこう。

色々あって鈴木が自身の二枚目のアルバム「LAGOON」をハワイで製作したのは本人の自信作であったファーストアルバム「Band Wagon」をロスアンゼルスで録音しリリースしたその翌年、1976年のことだった。

その中に収められた♫八分音符の詩 ははっぴぃえんどのドラマーで殆どの詞を受け持った松本隆が作詞、鈴木が作曲、編曲も勿論こなした。

♫ギターの糸に錆びついてる 時がしゃがみこむ

はっぴぃえんど時代の仲間への愛惜とも取れるノスタルジックな雰囲気を醸し出す松本の初期作品の傑作として、今でも歌い継がれるべき逸品だ。
それは誰が聴いても似たような経験があれば共通の

想いに駆られるように書かれているためか、この歌は後のミュージシャンにも取り上げられた。
その重要なカバーを録音したのが竹内まりやだった。
彼女のデビュー前からずっと世話をしていた牧村憲一の近著「ヒットソング」の作りかた と言う新書の中で詳述されている。
竹内まりやは先日、NHKのドキュメンタリーで数十年振りのスタジオ録画が放映されて、ファンのみならずシティポップを愛して止まない人間もきっとウェルカムだったに違いない。
NHKはここ数年、大滝詠一を始めジャパニーズシティポップの名盤を紹介する番組をよく放映するようになった。
その取り上げ方も中々マニアックで大変宜しい。
竹内は最終的にRVC ビクターからデビューするのだが、本格的デビューに漕ぎ着けるまで本人は本当に逡巡したようだ。
彼女は牧村が主催したロフトに集うバンドを一同に集めメモリアル的な雰囲気でアルバムを作ったのだが、その時は気楽に引き受けた。
竹内のことは最初にビクターの川原伸司というディレクターから聞いてデモテープを聴いて一発でその存在感ある歌声に惚れた。
川原は後に井上陽水と共作した♫少年時代 をヒットさせそれ以外にも当たり曲は数知れぬヒットメイカーになる人だ。
「ロフトセッションズ」と名付けられた先の
アルバムは勿論ヒットした訳ではないが、1977年と言う時代の日本の音楽の一側面であった。
ここで彼女は2曲吹き込み2曲共アルバムにアップされている。
一曲目は♫ハリウッドカフェ という慶応大学時代の先輩 杉真理が作った歌を岡田徹を始めとするムーンライダースがバッキングを務めて録音された。
杉自身も後にタイトルも歌詞も変えてセルフカバーしている。
そして二曲目が♫八分音符の詩 だった。
ここでまりやは自分の音楽的背景で最も影響されたはっぴぃえんど系、ティンパンアレイ系の楽曲を選んでいる。
これも牧村を大いに喜ばせた。
まりやはティンパンアレイ系のもう一つのグループ シュガーベイブも大好きだった。
♫八分音符の詩 は当時から仲の良かったセンチメンタルシティロマンスがバッキングした。
まだ初々しいプロのレッスンも全く受けていない竹内の生々しい歌声がそこにあったが、牧村はこの人はフォークで言う所の吉田拓郎の様な革命を日本の音楽界に起こすに違いないと確信したと言う。
これぞ、プロの直感で有ろう。
事実、竹内はデビュー後約5年に渡りニューミュージックの新星として活躍し、山下達郎と結婚以後も夫婦二人三脚で生活に無理なく音楽活動を続けて比類ないシンガーソングライターとなった。
これだけ息の長い、ヒットもコンスタントに続く女性ミュージシャンが他に居るだろうか?

牧村は竹内まりやをこの「ロフトセッション」後に本格的にデビューさせる為に必死に口説くのだが、その辺りのエピソードが中々秀逸であるが、その話はまた別のお話へ。

https://youtu.be/FC04zKXz6As

竹内マリヤVer.は↑ココをタップする

https://youtu.be/Z0EdS_XJIe4

鈴木茂Ver.は↑ココをタップする

=敬称略=

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