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ごめんね、と父が言う

さて、と最初から一息つかせておくれ、こないだ一周忌が終わっちまいました。父が亡くなって早くもまもなく一年が経ちます。あまり大声では、いやそもそも大声で言うことではないか……言っておりませんでしたが、今年の一月に父が亡くなりました。ここまでの文章には一が四つもあるね。

そのため、個人としては2022年の新年挨拶を控えさせていただきます。仕事の方ではせないかんのかな?1月も初旬に亡くなったので、え?今年喪中じゃ、という錯覚に陥っております。

28歳にして父が亡くなるなんてお早いと思う方は多いかと思うのですが、享年80と大往生です。私が爆遅キッズだったもので、むしろ割と同じ時間を共有できたな、と思うほどでした。

さてさて、と二息め。父と私の関係性についてちょっこりちょっこり語らせてくださいね。

父は父親というものをほぼ知りません。幼い頃に亡くしているため父親を知らず、ましてや母親も働きに出ていたのでお姉さんに育ててもらったようなものでした。そういう時代だったんです。

そうだからか、遅くできた子だからか、父と私は敬語を使わない上司と部下のような関係性でした。何でも知っている博識な父を私は尊敬していたし、そうなりたいと子供の頃から思っていました。

でも失敗や少しの生意気を頑として許してもらえず、悲しくなることが多かったです。52歳差をフラットに見るんです、すげぇな親父よ。

あと心配だから、という名目で束縛はすごかったです。彼氏には絶対したくないタイプです。

似ているところは頑固なところ。

似てないところはその他全部。

母からはことあるごとに似た者同士と言われたけれど、芯が違うというか、父はふっかけてくるんですよ。あぁ子供すぎ!と自部屋で泣いたものです。私はどちらかというと断然受け身をとってから、気に食わなければ投げ飛ばすスタイルです。それはそれで怖い人間だと自負してます、てへぺろりん。

今まで私は父に謝られたことがありませんでした。喧嘩しても折れるまで無視され続け、時間が解決するのを待つしかありませんでした。去年の8月、私は父と大喧嘩しました。完全に父が悪いので(今でもここは譲れないぞ!)1ヶ月以上口を聞きませんでした。でも体調が悪化していく父に、根負けぽっきりと折れて喋りかけ始めました。その時父は母に、喋ってくれたと嬉しそうに話したそうです。くう、悔しい……笑

そして病院行きたくないと言う父を丸め込み、検査入院させました。私は仕事があったし、コロナで面会もできないので、検査結果は家で待っていました。結果聞いたら夕方頃には帰るねといった母が暗くなっても帰ってこなかったので、私はもう察しました。

父は私に余命を言ってもいいのか悩んだみたいです。でも母はこの時間だからもう察してるよ、と。ほんと、何年貴方の子供やってると思ってるんですか。

余命を聞いて次の日、病室に行きました。

そして黄色くなった目でこちらをまっすぐ見ながら、父は私にごめんね。と言いました。

生涯初めて言われた謝罪の言葉は今でも耳に残っています。そのたった4文字を思い出すと涙が溢れそうになります。滲んだ涙を流し落とそうとすると、お前はすぐ泣く、と父の嫌味ったらしい言葉もセットで思い出します。ムカつくので、ごめんねもあまり思い出さないようにしてます。

帰宅後、自分の嘘と後悔を語りだした父は、吐き出せて嬉しそうでした。それによって私がどれだけ傷つけられるかは、気にしていない様子でした。嫉妬されていた、その嘘と後悔を受けて私は生きてきたんだと、ざわついて仕方ありませんでした。でもきっとそれが、完璧だと思っていた親が、やっぱり人間なんだとくっきり認識できて、自分の肩の荷もおろせたきっかけなんじゃないかなと思ってます。そこから友達に無駄なこと言ったり、怠惰だったり、無邪気でキモい自分を出せるようになった気がします。見えてるよね?

ルーコ:あっし今駄菓子バー行きたい。

ほら、こんな無駄なこと言えるようになったよ。

見栄っぱりで、人のことを知る力がなく不器用で、私や母と出会うまでに世界で生きるためにいろんな皮をまとった父の、中身は優しい人なのだと思います。私が見てきた父は、上辺でしかなかったこと、それに気づけず理解できなかったことは、私の中の後悔なのです。

もう少し、お酒を酌み交わしたかったですね。

博識なのは努力家だったから。見栄をはって、自分のようにはならないようにと、優しさの嘘をついていたことはもうわかっているのです。ただそれが子供にとって本当にいい嘘なのか、それは別だと思います。

私は割と何でも自分で決めてしまうので、進む道であまり悩んだことはありません。父は、母には相談するじゃないかと、ぶつくさ言っていましたが母にもほぼ相談したことがありません。母と話しているのは、あっこのケーキが美味しいとか、あっしの5Vミミッキュたんがかわいいとか、恥ずかしいくらい中身のない話ばかりです。母娘が仲が良すぎて嫉妬していたことは知ってます。自分が男親なのを忘れているんでしょうね。少し引いて見れば、父は真っ直ぐで愛おしく可愛い人です。

私はまだ親になる予定はありません。欲しいけど、ギブミー結婚相手。親にはなったことはないけど、子供を経験しました。親も子供を経験していることを忘れてはいけない、どんな子供だったのか、それはとてもとても大事なことだと思いました。私は私が生まれて生きているまでの父しか知らない。父という存在を、コートとセーターくらいまでしか脱がせれなかったんですね、悔しいですね。

遺品を整理していたら、ラブレターが出てきました。母と出会う前の、別の彼女に渡そうとした下書きの。いや内容はラブレターじゃないか……。母と私はそれを読んで、ないわー、と言い合って笑いあいました。そんな人と結婚して、そんな人の子供に生まれたのが母と私なのに、変なの。おもろ、こんなん処分しとけ。

私が親になったら、うるせぇ母ちゃんと言われようが、自分語りをしようと思います。まぁ、私は父にはなれないけれど、子供といろんなコトを築き上げたいと思うのです。

最近男の子と女の子を連れたボードのような大きな荷物を持ったお父さんを道で見かけました。前を歩く子供たちが走り出すと、あんまり行くなよ〜と声をかけて。お父さんしてるな〜なんて思ってたら、次の瞬間お父さんは一緒に勢いよく走り出す。そのときふと、ああこれがきっと父親だ……と思ったんです。何がどうして、と言葉にするのは難しいんですけど。

あのときのごめんね、はどれだけ溜め込んだ後のごめんねだったんだろうね。たぶん他の家庭とはだいぶ違うところが多いと思う。冗談話もブラックなんです基本、ぶつかることも多かったし。でも笑いは耐えなかったですよ、笑ってなきゃやってられなかったから。だからずっと笑ってたいし、人の笑顔が癒やしで大好き。私は今みんなを笑顔にできる仕事ができて幸せです。

憎らしいから愛しくて可愛らしくて、だからあのときのことは笑い話にしてやろうと思う、それは父からの隠れ教えな気がします。なんか悪態ついちゃってるよね、でも貴方の娘だから笑

ごめんね、と娘も言いたいよ。




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