全部やめてみた2

母親の希望で入園が決まった幼稚園は、公務員や医者、社長などの子供たちが入るような私立の幼稚園でした。

入園を目前に、火事の時に母が妊娠していた次女が生まれて数か月で亡くなりました。
子供ながらに、なんでこんなことばかりなんだろうと思いました。

家族はみんな完全に心を失い。私たちが寝た後に聞こえる父と母のすすり泣く声は次第に「俺らも一緒に死のう」という一家心中を促すような発言に変わっていきました。東北の3月。まだまだ春が来ないあの場所で、ボロボロの家の窓を大きく開いて。冷たい風が寝室中に広がっていました。
母はそんな父を見て泣いていたし、私はその光景を布団の隙間からじっと見つめるしかできなかった。

そんな日々の中でも時間は進むばかりで、気づけば妹の葬儀で入園式は終わっていました。葬儀が終わり、私は転入生というポジションで初めての幼稚園に入園。急に現れた転入生。貧乏幼稚園児。

純粋で残酷な子供たちは思い思いの言葉を口に出し、私をそこにいないモノのように扱うばかり。一般家庭の子供もたくさんいたけど、それ以下の生活をしていた私は子供たちのどんな話にもついていく事ができませんでした。破れたスモックは祖母が手縫いで直すためチグハグ。今にも崩れそうな古い家の前に迎える幼稚園バス。バスに乗るなり、みんなの視線の的となる私。友達が居ないなりにスケッチブックに絵をかいて一人遊びをしても、書く場所が無いとわかると裏面を使ったり表紙に書いたり、何度も上からクレヨンで古い絵を描き潰していました。

そんな生活が嫌になって幼稚園をサボりにサボっていました。

サボったところで特にやることもなく。
毎日毎日アニマックスで古いアニメを見るばかり。
ルパン三世、北斗の拳、キテレツ大百科、セサミストリート…
そんな私を見かねて、叔父がトムとジェリーやスポンジボブのDVDを買ってきてくれていました。
ぼろいテレビの前で一日中アニメを見る。それが飽きたら、なぜかいつも家にあった写ルンですで、昼寝をしている母と弟の寝顔を撮ったり絵を描いたり。

たまに母が公園に連れて行ってくれたりもしました。
母と私でブランコを二人乗りする。小さい時の私はそれはそれはゲラな女の子でしたので、二人乗りしているだけで楽しかった。笑えた。
大爆笑している私を見て、母も大笑いして、それを見てまた爆笑。
笑いすぎて手の力が緩んでブランコから落ちた回数は数えきれないくらい。
この時は純粋に母を好きだと思えていました。

私だけを見つめてくれていた母の視線や心。そんな母に心から甘えてもいいと思えた。
柔らかくて温い、居心地が良すぎて、もうずっとここにいたらいいやと思っていた。ブランコの上で母に抱き着いていた私は子供ながらに無償の愛を感じていました。



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