MMORPG昔話:Ultima Online(2)

1997年

王都ブリテインはものすごく治安が悪い。そして薄汚い。しかもやかましい。数日住み着いてそれがよくわかった。

盗み、殺し、乞食、詐欺。狂人、裸体、幽霊。絶叫、剣戟。断末魔。
人々が集まる銀行の前は犯罪銀座だった。富める者がいらないアイテムを捨てれば、みすぼらしいなりの者がすかさずおこぼれを拾いに来る。戦闘に負け続け、あるいはプレイヤーキラー(以下、PKと記す)の餌食になって装備を失った者はこうした拾い物で身を固めていた。

誰かが「guards!」(衛兵!)と叫ぶ。ハルバードの鈍い金属音とともに半裸の男が死体となって転がる。犯罪が発生した場合、このコマンドでノンプレイヤーキャラクター(以下、NPCと記す。システム側=サーバ側が動かしているキャラクター)の衛兵が犯罪者を抹殺しに来る。アイテム整理に夢中な者からスリを働こうとした男が始末される。しかし、この男のインベントリには何もない。「次」の仲間がとっくにブツの回収を済ませているからだ。そいつがやられるころには貴重品は「また次」の仲間の手に渡っている。リアル顔負けの窃盗集団が活動していた。

いち早くスリを仕留めるため「guards」……「guards」と数秒おきに衛兵を呼ぶコマンドを発しながら銀行のアイテムボックスを開く紳士淑女が、銀行の外壁にびっしり並ぶ。チャットコマンドが銀行員役のNPCに届けば、どこからでも銀行が利用できる。だから誰も扉を開けず、中に入らず、壁の外から”大声で”取引を行っていた。拾いたい者、盗みたい者がそのそばをずっとうろうろしていた。

鍛冶屋の横を通り過ぎると、ニセ鍛冶屋に金属鎧を持ち逃げされたと怒り狂っている戦士がいた。ヒーラーのそばには、死にたて、復活したてほやほやの灰色ローブ一丁の人々が呆然と立ち尽くしていた。宿屋の前では、賭博バックギャモンを持ちかけている酔っ払いがいた。

わたしはあれ以来戦闘を避けていた。鹿に負け、ブタに負け、犬を殴ってどつかれた(犬と猫は衛兵の保護対象だった)。戦闘のBGMはほぼ死のテーマと同義であった。3種類の戦闘BGMがあったが、この「Combat 1」は最高に怖い。無残に死に続けた思い出、PKに追い回されて内臓を引きずり出された記憶とがっちりリンクして、いつでも新鮮な恐怖を思い起こさせてくれる。

ろくな武器なんて持っちゃいない。買う金がない。戦えば負ける、奪われる。少し遠出すればPKが待っている。わたしは冒険を諦めて、店の隅でちくちくとスカルキャップやサッシュを縫う生活を続けた。誰かと話すこともなかった。オンラインゲームはプレイヤーとの交流が楽しめるゲームである、と言うことを理解しないままでいた。目の前で動き回っている人たちは、世界のどこかのプレイヤーが動かしているものだということは知っていた。だからと言って、交流しようという気持ちにはなかなかなれなかった。英語でチャットするのが怖かった。読めるけれども、こちらから文を作って、話しかけるぞと意を決し、どこかのだれかに声をかける、そんな積極性は持ち合わせていなかった。

たまに、「殴り合いするぞー」という声が聞こえた。何人かが町の外へすたすたと向かい、さらに多くの人が後に続いた。衛兵の防衛範囲から出て、2人の男が殴り合いを始める。ほかの者は倒木に腰掛けたり、リュートをかき鳴らしたり、酒を飲んで吐いたりしながらそれを眺めた。当時はスキル伝染のシステムがあり、周囲の他人が使ったスキルにつられて、自分のスキルも上昇する仕組みになっていた。なので、手っ取り早くなんでもいいからスキルを上げたい連中がこうして集まることがあった。彼らに交じってぼんやり立っていると、wrestling(格闘)、camping(キャンプ)、それと何か楽器のスキルが上がっていた。さすがに縫い物をする人はいなかったなぁ、と少しがっかりして、わたしはまた街中の小屋に戻ってサッシュをちくちくと縫い始めた。今日も誰とも話さなかった。

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