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【ワーホリ日記】ワーホリ決意と退職

こんにちは。
前の記事でワーホリ日記をしたためる宣言をしまして、今回はワーホリを決意するまでの想いについてつづっていこうと思います。

25歳、退職を決意

大学を卒業後、実はひっそりと都内のゲーム会社に就職をし、新卒からありがたいことに人事というポジションで、人事企画周りのお仕事を経験させてもらいました。

具体的には、既存社員向けの研修運営、新卒関連の施策全般(内定者研修/内定式/入社式/新卒研修/配属/配属後面談などなど・・・)を担当していました。
環境にも恵まれ本当に素敵なファーストキャリアを歩めたと思っています。

正直言ってかなり安定した暮らしができてはいたのですが、心の中でずっと海外生活に挑戦したいという気持ちが消えず、気持ちが大きくなった3年目の終わりに、ついにワーホリを決めました。

3年仕事をして、やれることできること、社内ネットワークも増えてきたはずなのに何かずっと満たされていない感覚が拭えず、自分に自信も持てていませんでした。

そのとき、本当に自分が身に付けるべきなのは、時間をかければ身に付くテクニカルスキルではなく、「自分自身を好きになる、受け入れる」という根底のポジティブマインドだったのだと気づきました。

どんなに仕事ができるようになっても、自分自身を受け入れ、好きになれない限りは、いつまでたっても生き生きと生きられないんじゃないか。

そう思っていた時、英会話の先生や海外にバックグラウンドのある友達をみていると、みんなすごく「自分軸」で生きているなあと思いました。
会社に申し訳ないから。親や友達に申し訳ないから。ではなく「私の人生だからこうしている、当たり前じゃん」というマインドで人生を切り開いていっているなと。

親も友達も何も後ろ盾のない予測のできない環境に飛び込み、もっと自信をつけたい、自分の人生は自分軸で生きていきたい!

最終的に、いろんな国籍・人種・考え方を持つ人がいる多様性のある環境でずっと刺激を受けながら働き続けたい!と思いました。

苦手だった英語を克服したい

同時に、英語にもずっと苦手意識があり、受験勉強で中途半端に学んだままで終わらせたくないという気持ちもありました。

高校生の時、来日外国人の方に新幹線のホームで話しかけられた時のことを鮮明に覚えています。
彼はどこかのホームで新幹線に乗ろうとしているようでしたが、当時の私と母は英語ができず、頼ってきてくれた彼に「Sorry」としか言えませんでした。

あの方は結局無事目的地に行けたんだろうか、わたしが助けてあげられていたらもっと楽しい旅行にしてあげられたんじゃないか、ずっと気になっていました。
いつか同じ状況になった時、自信をもって助けてあげられる人になりたいと思いました。

加えて、ここまで大きな病気もせず育ててくれた両親(新婚旅行以来、どこにも海外旅行に行けていません)に恩返しをしたい。自分のお金で海外旅行に連れて行ってあげたい、そのときに両親に恥をかかせたくないし、自分も恥をかきたくない、胸を張って英語を話して案内してあげたい!という親孝行の思いもありました。

長くなりましたが、そんなこんなでいろいろな思いが募り、
25歳、だいぶ遅めのワーホリ決意をいたしました。

以降の記事では、日本を発った日から実際のオーストラリアでの滞在記を書いていきます。ではまた!

メルボルンについてすぐに撮った写真。よっしゃ頑張るぞ~と気持ちが込み上げてきた瞬間です