暗いところで、生きて死にたい。
私は、晴れ舞台を二度ボイコットした。
一度目は、成人式。
振袖を着たくなかった。振袖を着て写真を撮られる自分を想像するだけで、暗澹たる気持ちになった。
まだ大学1年生だったと思う。実家に振袖のカタログが届いた。
どうして、そろそろ成人式の振袖を探し始める年頃の女の子が暮らしていると知られているのか、気味が悪かったのを覚えている。
振袖は、ずっと着たくなかった。高校2年生のときには既に、振袖を何とかして着ないためにはどうすればいいのか、考えていた記憶がある。
それでも食わず嫌いは良くないと思って、一応カタログに目を通した。
赤やピンク、白っぽい華やかな振袖を見にまとう、笑顔の女性たちが写っていた。ページをめくってもめくっても、華やかで明るい色彩があった。
無理だと思った。
これを着たら、私の尊厳は踏みにじられると思った。
両親は、そんな私に無理やり振袖を着せようとはしなかった。
けれど、祖母だけは、会う度に振袖について聞いてきた。お金は出してあげるから、写真だけでも撮ってほしいと言われた。
それでも、どうしても嫌だった。
ついぞ私は、振袖に袖を通さなかった。とんでもない不孝者だと思って、自分を責めた。
当時は、何故それほどの生理的嫌悪が湧いてくるのか分からなかった。
同級生が、振袖を決めたという話を嬉しそうにしているのを見るたびに、同じ気持ちになれない自分に嫌気がさした。
もともと恋愛と言うものがよく分からなかったり、当時は髪型をショートカットにして、ストリート系のパンツスタイルを好んで着ていたこともあって、性的違和なのかなとふんわり思っていた。
女性らしい服が、嫌なのだと思っていた。
けれど大学生になって、高校の時は手が出なかった、少しお高めのブランド店舗で初めて買い物をした時。
店員さんに黒のワンピースを勧められて試着をしたら、自分にとても良く似合っていた。新しい自分を知った気がして、とても嬉しくなった。
その日のうちにグレーのスカートも購入して、色んな所に着ていった。世界が変わったような気がして、嬉しかった。
それからというもの、すっかりワンピースかスカートしか着なくなって、高校生の時に履いていたデニムやスウェットは、ほとんど処分してしまった。
けれどやっぱり、振袖は嫌だった。
振袖を着て幸せそうにしている人がたくさんいる場に、それを嫌悪する自分がいてはいけないと思って、成人式には行かなかった。
二度目は、大学の卒業式。
これは単に、わざわざ大学外の会場にまで偉い人の話を聞きに行くのが怠かった、とか、そのまま大学院に上がるからそんなに感慨深くも無かった、という所もある。
けれど、何番目かの理由には、やはり服装があった。
袴も、嫌だった。
卒業式の日は、本当は一歩も家から出ないつもりだった。
高校から一緒の数少ない友達に、写真を撮ろうと誘われて断れなかったのと、大学の友達にも大学院に進学しない人がいたのを思い出して、卒業式が終わった後、仕方なくリクルートスーツを着て、大学に向かった。
大学構内は、写真を撮るためか誰かと話すためなのか、まだ多くの人でにぎわっていた。正直、その中の何人かは、スーツを着た女子学生もいるだろうと思っていた。
どこに目をやっても、袴の女子しかいなかった。
髪の毛まで綺麗にセットした人ばかりだった。櫛で解いただけの黒髪に眉毛だけ書いたようなやる気のないメイクの私は、さながら運営スタッフのように見えていただろうな、と思う。
友達はみんな、華やかな衣装に笑顔が良く似合っていて、素敵だった。久しぶりに会えて楽しかったし、精いっぱいの笑顔で写真に写った。
でもやはり、自分が華やかな袴を身にまとうことを想像すると、どうしても嫌な気持ちになった。もうこの頃には、嫌な気持ちになることを嫌だとも思わなかった。
出来るだけ、想像しないことにしていた。
常々、思っていることがある。
自分は昔からずっと、決して派手な人間ではない。
隙あらば、暗くてあまり希望もないようなことを考えていて、たいてい1人でいて、感情の起伏が激しくなくて、ぼーっとしている。いわゆる、根暗だと思う。
暗い場所にいると安心する。黒い服を着ていると安心する。自分が、包まれて守られるような気がする。
冬が好きだ。
閉鎖的で、どこにも指向性が無くて、停滞している。1人でいることを許容してくれるような、寂しい雰囲気が好きだ。自分が、暗い自分のままでいることを認めてくれるような気持になる。
春は嫌いだ。
どこか明るい場所に向かって、真っ直ぐな矢印が伸びて行くような雰囲気がある。みんながいそいそと浮足立ち始めて、新しいものとの出会いに備えなければならなくなる。自分が、自分でない明るい何かを演じるための準備をしなければならない気持ちになる。
自分が”自分”として認識されない場所が好きだ。
都会の雑踏の中を歩いているとき、私は”私”ではない。その辺の人間と同じで、ただの人間だ。その中で私は、一番好きな服を着て、一番好きなメイクをして、どんな人間かと言うことは一切知られること無く、大股で街を闊歩できる。無名である瞬間、私は一番自由でいられる。
明るい服に晴れやかな雰囲気がドレスコードとされる、"ハレ"の空間。
自分が、主役になる舞台。明るく、笑顔でいなければいけない舞台。
それは、そんな私が最も私らしく居られない場所なのだと、最近思う。
私という人間が、維持できなくなる場所なのだと思う。
そのことが恐ろしくて、”ハレ”を拒絶してしまうのだと思う。
振袖や袴自体が嫌だというより、それらが纏う晴れやかな雰囲気に、耐えられないのだと思う。
これからの未来に向けて、希望に満ち溢れていなければいけない。明るい気持ちでいなければいけない。
けれど、そんなものは自分ではない。そんな気がしてしまう。
人にはそれぞれ似合う服がある。
濃い色が似合う人、淡い色が似合う人。骨格によっても似合う服は違っていて、人はそれを選択して身にまとう。
自分らしくいるために似合わない服を着ない、という選択が歓迎されるのならば、自分らしくいるために”ハレ”を身にまとわないという人がいたって、理論上おかしくはないと思う。
何となく、暗い人生を送ってきた。
いつの間にか23年も生きていたが、少なくとも、そのうちの20年は暗い人生を送ってきた。
思い返せば、楽しかったこともたくさんある。
中高一貫の学校に入って、6年間クラスが一緒だった人もいたから、そういう人とは流石に仲良くなった。そういう友達と遊びに行ったこと、修学旅行に行ったこと、学園祭で一緒に何かを作ったこと。それは全部楽しかった。
けれど、あの頃に戻るぐらいなら、死んだ方がましだとさえ思う。
”自分はこうあるべきだ”という呪縛に囚われていて、何も自由では無かった。優秀な自分なら、こうするだろうという行動以外の選択肢は、無かった。嫌なことには全然身が入らなくて、好きなことにはいつまでも熱中していられるような性格なのに、そんな自分にちゃんと向き合うこともせずに、好きでもないことを毎日淡々とこなしていた。
加えて、小さい頃から読書ばかりして、無駄に頭でっかちになってしまったせいもあると思う。
希望や夢に溢れていて、好きな事だけすればいい、いい意味で子どもらしい時代というのは、記憶の中にはない。
ずっと全てに悲観的で、どこか無力感があるし、世の中は複雑で難しくて、一方で虚ろなものだと思っていた。
ずっと、灰色がかった人生だった。
もしかすると、その生き方に慣れてしまったのかもしれない。
今になってようやく、自分の好きだと思う気持ちに正直になり始めて、好きなことをするようになった。向いていても好きでないものというのはたくさんあって、それはほとんどやめた。
それに、物事を悲観的に捉える癖を出来るだけなおして、やってみたいことは、考えるより先にやってみようと思い始めた。
明るさに向かって生き始めて、まだ数年しか経っていない。
これからどんどん人生自体が明るくなってきて、楽しくなってきて、希望に満ち溢れ初めて、明るい色の服を着るようになって、人と関わるのも好きになって、”ハレ”の舞台が恐ろしく無くなる可能性も、まあ無くは無いと思う。
無い、と断定するのは良くないと思う。
でも今のところ、とてもそんな気になれない。
今でも、暗くて地味な場所やそういう気持ちの方が落ち着くし、自分の性質に合っていると思う。
今更、じゃあ希望に溢れる"ハレ"の雰囲気に適応してね、と言われても、やっぱり耐えられない。考えただけで、帰りたくなる。
そんなことを思っている自分は、イタいのかもしれないと思う。
世間に言わせれば、"逆張りオタク"というやつなのかもしれない。いつまで中学2年生のままなんだよ、と言われるかもしれない。
でも仕方ない。暗い生き方しか知らないから、今のところそうやって生きるしかない。そっちの方が、楽なのだ。
暗い気質を、無理に明るいところにアジャストすることもしたくないし、そのことに罪悪感を感じることもしたくない。
実際、それでいいんじゃないかと思う。
一生、"ハレ"とは無縁の人生だって、あってもいいんじゃないかと思う。
日陰で穏やかに、隠れるように暮らす人生も、また一興だと思う。自分らしくいられることの方を、大事にしたい。