自己紹介①
こんにちは!Therapy Room Rurudo(セラピールームルルド)のIZUMI(イズミ)です。現在自宅にて女性専用のオイルマッサージ(ハワイアンマッサージのロミロミ)のサロンを営んでおります。自宅だけではまだまだな状態なので週2~3は別のお店で(こちらも女性専用のオイルマッサージ)アルバイトしながら二足の草鞋でゆるゆるとやっております。
普段はマッサージのお仕事をしていますが2024年6月より、3カ月先まで予約の取れないカウンセラーの根本裕幸氏に師事し、お弟子9期生となりました。
セラピストである私がなぜ今カウンセリングを学ぼうと思ったか、改めて自己紹介と(過去をふりかえったら…大変長くなりました、注意。)について書いていきます。お時間のある方はお付き合いくださいませ。(前編)
略歴&現在と過去のマイブーム&向き合っている課題(とりあえずここだけ読めばざっくりIZUMIという人物が分かります)
IZUMI(イズミ)
・東京都府中市出身(府中→三鷹→東池袋→南池袋→府中に戻る)
・1978年3月27日生まれ (午年、おひつじ座、B型)
・大学卒業後→バイク用品の卸の会社の営業事務(6年、恋愛至上主義&相手を振り回す野良猫女子、助けたい症候群、バイクと車とレースにハマる。)→29歳で結婚して専業主婦(3年、キックボクシングにハマる)
→32〜3歳で離婚(子供は居ません)して不動産会社(賃貸管理メイン)の営業(6~7年、罪悪感も無価値感も強い&自己肯定感ゼロ、体調絶不調、助けたい症候群、アングラの恋にハマる、相手に合わせて我慢し過ぎる重た~い嫉妬深い女,親密感の恐れが発動する野良猫女子)燃え尽きる
→人生の夏休み(40歳で初めてカウンセリングを受ける)
→アロマセラピストの仕事(4年目~、これは天職なのでは?と感じた)をしつつカウンセラーを目指す←今ココ
・最近ハマったドラマ、マンガ→『憧れの地に家を買おう』『ラグジュアリーシドニー~超高級住宅ドキュメンタリー』『きのう何食べた?』『孤独のグルメ』『正直不動産』『呪術廻戦』
・最近ハマっている運動→ワールドウイング(初動負荷トレーニング)のジム通い。体を柔らかくする、リラックスする系の運動です。スポーツする前の準備運動にオススメ!怪我もしにくくなります。
・最近のマイブーム→オイルマッサージを受けること、沖縄や鹿児島の離島めぐり(南国の海が好き)、飛行機に乗る事、チャートのテクニカル分析
・以前ハマっていたもの→速い乗り物(車、バイク)、ワイルドスピード(映画)、イニシャルD、湾岸ミッドナイト(マンガ)、キックボクシング
・今向き合っている問題→お金の問題・もっとNOを主張できるようにする・自分を守ること・もっと自由に生きる・もっと受け取れるようになる・隠れダンジョンに居たラスボス弟との関係を見直す
自分の意思がない子供時代
私は東京都府中市で生まれ、両親と父方の祖母、2歳下の弟と共に20年程暮らしました。
私の父はサラリーマン、母は専業主婦、父方の祖母は自宅でピアノ教室を開いていました。祖母の影響で、私は物心つく前からピアノを弾いていました。私の小学生時代の習い事の定番は、そろばんと習字教室でした。私もそっちの習い事をやりたかった。当時は祖母が怖かったので、私ピアノやりたくない、とは言えませんでした。友達は外で遊んでいるのに、私はピアノの練習をしてからでないと遊びに行けない。そんな不満や、上手にならず楽しみが見いだせないピアノが徐々に嫌いになっていました。喘息気味の為に通っていた水泳教室も自分の意思で通っていたわけではなく…中学に上がると共にピアノもプールも辞めてしまいました。
小学生の頃の私は、祖母の言いなり、母の言いなり。周りから流されるばかりで自分で『これがやりたい!』という意思がほぼありませんでした。あっても却下されるので諦めてたのかな。
母は、祖母(姑)と折り合いが悪く、私は小さなころから母の愚痴や悪口(姑や夫の)を聞く役目をしており、母を助けたいと思っていました。この頃は母や祖母のコントロールがきつく、罵倒されても私自身は傷つくことなく…あまりに日常の事過ぎて『そんなもんだ。』と慣れて、鈍感力を発揮してました(笑)父は単身赴任が多く、家を留守がちで私からは距離の遠い存在でした。物心つく頃には『家は安心できない場所。頼れる大人は居ない、何を言っても否定される。こんな家を一刻も早く出たい』と考えていました。
中学~高校時代
中学に上がった私は、クラスメイトに無視されたり、学校に行ったら机がないなどのイジメを受け不登校になりかけました。私は小学2年の時に視力が悪化して、一番前の席でないと黒板が見えない程でした。小学時代はなんとかメガネなしで過ごせたんですが、中学を機にメガネをかけ始めました。超冴えない黒縁メガネです。冴えないメガネのせいでイジメられた!とこの時は本気で思ってました(笑)今から思えば、メガネ嫌だな~とか『メガネの私かわいくない』ってメガネ姿の自分に自信がなかったんです。
イジメというより、無視されるのが辛くて中学の時は学校に行きたくなかった!母は見て見ぬフリ。『学校は行かなきゃダメだ』と譲らないため、私はちょっとグレました。この時塾に通っていたので、学校がイヤな私にとっては塾が格好の逃げ場になっていました。自分を傷つけるような恋愛をした中学時代(反抗期)でした。それでも中学校で2~3人は仲良くしてくれる子が居たんです、本当にありがたかったです。
高校受験は第一志望に落ちて、第二志望の高校へ。高校入学前に親にねだって人生初のコンタクト装着。無事に高校デビューし、冴えない黒縁メガネ脱却しました。コンタクトにより謎の自信を回復した私。高校ではイジメとは無縁でしたし、結構楽しく過ごせました。大学も希望の所には行けませんでしたが、もうあまりショックではなかったです。そんな私は免許を取ってからとんでもない刺激物にハマっていったのです。
バイクの免許を取り、自由や解放感を感じる
私は幼少期は、リカちゃん人形で遊ぶよりラジコンカーで遊ぶ方が好きでした。男の子が好きなドラゴンボールや、ゲームならドラクエ、FFが好きで、女の子が好むような趣味は少なかったです。免許が取れる年齢になると、私はバイクにハマりました。それまで徒歩と自転車、電車しか使えなかった時は行動範囲が狭く、閉塞感を感じていました。(特に、昔の西武多摩川線は乗降客が数人しかおらず、乗れば近所の人ばかり。周囲にいつも監視されている感じがして非常に苦痛でした)それと比べて、バイクなら誰にも邪魔されず、どこでも好きなところに自由に行ける!当時の私はバイクに乗るだけで解放感を得ており、乗る度に感動してました。(家がそんなに窮屈だったのか~笑)父がバイク好き、車好きだったのでその影響で私も好きになったようです。10代後半はバイクに明け暮れる日々。学生の頃はバイクにバイト代をつぎ込みました。バイト先もバイク関係のお店。
20代で車にもハマる
就職(バイク用品の卸の会社の営業事務)してからは車にハマり、やっぱりお給料のほとんどをつぎ込んでしまいました。この頃は『私、男だったらもっと力もあるし良かったのに』と常に思っていました。男に生まれれば良かった、と自分の女性性を思いっきり否定して生きていました。でも心理学を学んでからは、当時の私は父に好かれたかっただけなのね、ファザコンだねと分かりました。父とは一度だけ奥多摩にツーリングに行ってお蕎麦を食べました。高速で飛ばし過ぎて叱られたのは今となっては良い思い出です。もう20年以上前の事です。
スピード中毒
この頃の私はスピード依存症でもありました。アルコール依存、ギャンブル依存、性依存、と色々ありますが、私はスピード依存でした。日常があまりにもつまらないので、スピードの出る速い車やバイクに刺激を求めていました。もう時効なので書きますが、当時はイジッた32のGTRで週末の夜は毎週首都高やお台場辺りのふ頭、箱根などの峠に遊びに行っていました。(アンダーグラウンドへ刺激を求める、私の黒歴史です。)当時ヤンマガでイニシャルDと、湾岸ミッドナイトが連載されており、映画のワイルドスピードも流行っていて、何回も見返すほど大好きでした。
ただ、面白いのは束の間で公道では思い切り走れない事にだんだん満足できなくなっていました。当時お付き合いしていた彼の影響からサーキットに通い始め、遂にレースに出るようになりました。ここで計らずもアンダーグラウンドから表の世界で健全に?刺激を求めるようになりました。
レースのスタートの時って、緊張と興奮がMAXで背筋がゾクゾクするんです。それこそ心臓が口から飛び出るかと思う位。肋骨にヒビが入って練習の時は痛くても、レースが始まるとアドレナリンで痛みがどこかに飛んでいっちゃいます。終わった後はもちろん痛いですが。
人生で一番コーフンした事ってなに?と聞かれたら私は迷わずレース、と答えます。
しかし、車とバイクに一体いくら使ったかなぁ。怖いので計算しません。当時、60代でレース出ていた方も居ましたよ。すごいですね、私今乗れるかな?多分無理です。乗る気もあんまり起きませんが。(たまに音量大き目のバイクやら車を見ても、微笑ましく眺めるだけなのです)この手の刺激は私にはもう必要なくなったんですね。
30代は罪悪感に塗れ、自己肯定感もゼロ。徐々に体調不良に。
29歳で結婚した私は、紆余曲折あり32歳で離婚します。(離婚の話はまた別記事に)宅建士の資格を取って不動産会社へ再就職しました。このお仕事は『今までの仕事と比べたら断然面白い!好き!』でした。会社の人間関係はそこまで悪くなかったものの直属の上司とはどうも反りが合いませんでした。恋愛ではお相手がいる男性を好きになってしまいました。(アンダーグラウンドの恋愛にハマる。)
それでも私は、『以前と比べたら全然違う、私は好きな事を選んでやっている。私の人生はうまくいっている』と思い込んでいたのです。でも、実際は違いました。夏と冬で洋服のサイズがMからLに変わる程体重が増えてしまう事や、朝起きても疲れが取れていない事、休日でも仕事が気になって休んだ気にならない事、暑い時期に謎の体調不良になり頭がぼんやりすること(原因は重度の貧血でした。子宮筋腫のある方は要注意です!)
少しずつ心や体が蝕まれていました。何よりこの時の私は、『NO!』と『助けて』が言えなかったのです。
私が根本師匠を発見し、心理学に興味を持った日(2010年より少し前辺り)
時間は前後しますが、私が師匠を知ったのは10年以上前の事です。それは、師匠が以前所属していたカウンセリングサービスの記事でした。
恋愛関係、人間関係で悩んでいた私はある日ネットサーフィンをしていて師匠の記事を見つけてしまったのです。
『実は、人間関係の悩みって根っこにある原因は、ご自身の家族との関係にある。特におかんとの関係を見直すべし』というような事が書いてあって、とんでもない衝撃を受けました。
今までは、私と〇〇君の問題とばかり思っていたのに、家族との関係を見直せとは!でも、相手(恋人)が変わってもいつも同じようなパターンで別れる、という場合は『根っこを直せ』ば上手く行く!というのも腑に落ちました。それ以来、私は『心理学』なるものに非常に興味を持つようになりました。師匠のブログを読み漁り、『これは私の事か?』とか『えっ、どうして分かるの?!』とそれはもう驚くほどに自分と似たような悩みをお持ちの女性の記事がたくさん出てきました。ただ、私もカウンセリングを受けてみよう!という所までは至りませんでした。師匠の活動拠点が東京ではなかったので『関西方面はちょっと遠いよな~』と思っているうちに、時間が経ってしまいました。
2017年(39歳)に神楽坂のワンデーセミナーに参加し、生根本師匠と遭遇
当時仕事で疲弊していた私は、セミナーに癒しや救いを求めていました。神楽坂のセミナールームの入口で初めてお会いした生根本師匠は、想像よりもめっちゃBIGでした(かなり身長が高かったのでビビリました)。しかも何となく無表情に見えたので(スイマセン)、ついつい脊髄反射でいつも会社でしていたような営業用スマイルで『おはようございます』と挨拶しました。
セミナーはイメージワークなどの癒しがたくさん詰まっており、途中で涙が止まらなくなって大変でした。当時、会場で買い求めた師匠の本です。ありがたいサインまで頂いちゃいました。
後記
やっと師匠との遭遇までたどり着きました。振り返りをはじめたら長くなりました。一旦区切ります。続きは後編に。
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