また会えるようになったけど模索は続く
夏前に音信不通になって途方に暮れていたけれども、
秋になり、彼から子供達と会いたい
寂しい
辛い
と、再び連絡があり、交流が再開。
その後何度か外で会うことをして、
クリスマスの週末、とうとう私たちの家に彼が来ることになった。
しかも一泊で。
子供達は喜んでいて、子供達にとってはとてもいいことだし、彼にとってもいいことだし、
私も嬉しい部分もあるけれども、
やはり、何度も「殺すぞ」と言われた相手と同じ家の中で一晩すごすことは怖かった。
元々は優しい人なので、「そんなことはしない」と信じたいのだけれども、今まで見てきた狂気の部分を思うと、やはり身構えてしまう。
どうしたものかと思いながらも、無事に一緒にすごした二日間を終えられた事にホッとする。
でも、よっぽど緊張していたのか、
彼が来る2日前頃から、上の歯の全部がいまだかつてないほど痛くなり、そこから副鼻腔、頭全体までものすごく痛くなっていた。
彼が来た当日は、痛み止めで何とかのりきったけれども、過ぎ去った今、その痛みは治まっている。
これは、心が体に与える影響なのか何なのか、とにかく痛かった。
一緒に過ごしている時は、子供達は父親に目一杯甘えられてとても嬉しそうで幸せそうだった。
ただ、長女は感情がちょっと不安定になり、普段出ないような(きっと、普段は抑えているのかなと思うけれども)怒りが寝る前にドバッとでていた。
でも、それは彼女がその怒りの感情を出せて良かったのかなと思った。
最悪の頃から一年経ってみて、思うことは、
私たち家族にとっては、今のこの形になって良かったのかなということ。
統合失調症を患って彼曰く20年ちょっと、とのこと。
ということは発症はやっぱり結婚する前からだったんだなという事がわかった今回の滞在。
そんな20年以上も、程度の差はあれども、見えない脅迫や幻聴や被害妄想などと付き合っていて本当に大変な事だと思う。
どうしてこのような病気があるのかと悲しくなる。
元々は、ピュアな魂の持ち主で優しくて独自の視点が面白い真摯な人なのだけれども。
今もそこは変わらないけれども、狂気と苦悩が度を超えて加わっていて、ずっと一緒にはいられない。
一緒にいられないこと。
それが辛いのだけれども、それでも彼が昨年家を出て、自分で自分の住まいを見つけていったことで、良かったなと思えることもできてきたここ最近。
彼が突然いなくなったことで、私自身も今までなら何とか対応できていたのに、今回は辛さのリミッターが外れ、
初めて家族以外の外部の人たちに助けを求めることができた。
そのおかげで、様々なところの人たちの知恵と助けのおかげで、
子供達と比較的落ち着いて今暮らすことができている。
あと、子供達に彼の怖い部分を極力見せずにすんでいる。
子供達の中では、特に次女の中では、
「誰よりも優しい大好きなお父さん」という印象で、
昨日も離れてから夜寝るまでの間、
寂しくて号泣していたくらい、次女を暖かく包んでくれるいい父親として存在できている。
長女は昨年の荒れ狂う父親の記憶があり、物心ついてからの父母の混乱を見てしまっていたので、少し複雑な心境ではあるのかなという感じ。
だけれども、長女にとっても「大好きなお父さん」で今も父親のことをそう見れているのは本当に良かったと思っている。
離れていることで、調子が悪い部分は子供達は直接見ることはほとんどなくなったから。
・助けを求められるようになったこと
・子供達に大好きなお父さん像を守ることができたこと
・これ以上言い争いや、憎み合い、罵り合いをしないように、お互いに自制できる距離があること
この3点が、
離れて暮らすことになり
離婚して
一度音信不通になったことで、いろいろ見直すことができて、
その上でこうなって良かったのかなと思えたこと。
でもやっぱり、好きだった家族の暮らしがなくなってしまったこと、
彼との信頼関係、婚姻関係がなくなってしまったことは悲しい。
そして、病気とはいえども、
わからない理論で進んでいく彼の苦悩の内容にはなかなか共感できなくて私も苦しい。
そんな時は、
病気について調べること
客観的に話を聞いてくれる相談機関に話すことで、なんとか心を保っている。
子供達の大好きなお父さんを守ること
私自身の心と体を守ること
そして彼を守ること
どれもしていきたい。
来年の今頃はどうなっているかな?
模索しながら進んでいくしかないかな。
一人一人が少しでも幸せであるように。
と、祈りつつ、また進んでいきます。
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