違う世界観を生きる人と共に生きる決意
ここしばらく、夫と本格的に離婚の話が進んでいました。
彼の中で心が限界になって、
私もその彼との日々のやり取りで心身共にめちゃくちゃ揺り動かされて疲労困憊。
私から「もう限界です、しばらくこのやりとりを休みたい」と告げた次の日に、
彼からも、「もう気が狂いそうだから別れたい」とメッセージが来て、はじまった離婚話。
一時は離婚協議書なども作成されて、「今月中にはもう離婚届を提出したい」と話が進んでしまっていたけれども、
自分に向き合い続け、自分はどうしたいのか?家族にとってどのような選択が正解なのか?夫にとっての幸せな道は何なのか?
ひたすらに考えて、家族や信頼できる友人に相談して、
今回は統合失調症の家族の会や、地域の保健師さんや、知り合いの弁護士の方にも相談して、
それぞれの視点、それぞれの専門分野からのアドバイスを受けて、
そこからまた自問自答して、夫ともやり取りを繰り返して、
どうにか今回は離婚回避ということで話を決着させることができました。
今回のやり取りを振り返ってみて思うことは、
お互いの個性をそのまま丸のまま受け入れる!
これに尽きるな、と。
その上で、お互い歩み寄れるところは歩み寄り、分かり合えないところはそのまま認め合い、解決できないところの結論は今は保留にして、自分たちのために、子どもたちのために、未来のために、もう一度がんばってみましょうという流れとなりました。
夫が見ている世界観と、私が見ている世界観、共通するところはもちろんあるのだけれども、決定的に違う、わからない領域もあり、
今まではそれをどうにかわかるように、理解し合えるように、
そこに向けて一緒懸命に動いてきていたのだけれども、
「いやいや、どうやらそうではないらしい」
このままそのまま丸っとその世界観を受け入れて、お互いの生きている世界観は違うのだけれども、「そちらはそちらでがんばって」「私は私でこの生き方でいくわ」と、いい意味で境界線を引けたことが大きな収穫であり、離婚回避への道でもありました。
思えばこの数年の夫婦の諍いは、
私は「この状況、この感情をわかってほしい」
そして夫は「違うこと、できないこと、それをそのまま認めてほしい」
お互いのその主張を相手にどうにか「YES」と言ってもらいたい。この繰り返しだったように思います。
でも、それがこじれにこじれてもう家族が別れるしかないのか、、、と絶望した先に、見えていたのが「どっちもどっち」それが「あなたであり、私であるのだから、そのままでいいじゃない」ということ。
同じ価値観になろうなんて思わなくてよかったんだ。
ビックリするような行動や考え方でも、それがこの目の前にいるこの人そのものなのだから。
だから、ビックリしたまま、それでも一緒に生きていきたいということが上回ったので、私は離婚に対してYESと言えなかった。
そして夫も家族と離れたい訳ではなかった事もわかり、話し合いを重ね、離婚協議書も破棄して、ようやく一緒に未来の話ができるまでになりました。
夫とはいつまでなのかはわからないけれども、これからも基本は別々に暮らしていきながらにはなるけれども、子供達の父母として、夫婦として、結婚を続けながら生きていく事になりホッとしました。
違いを認める、受け入れる。
言葉で言うは易しだけれども、本心からそう思えるまではとても苦労しました。
一番近い夫という存在が、心と体を張って私にそれを教えてくれていたんだなとその事に気づいたら、それが感謝に変わって、そうなったら気持ちと行動が変わって、こんがらがっていた状況が変化していきました。
離婚協議書にサインができないのならば離婚調停となりますよと連絡がきて、もうどん底な気持ちで朝泣きながらいろいろ考えていたら、
彼が今まで支えてきてくれた部分、一緒にすごした楽しい時間、沢山の愛、それらのことをいろいろ思い出し、彼の大きな愛に気がついたら急にぶわ〜っと夫への感謝が溢れてきて、そのままの気づきと感謝を夫にそのままメールしたところから、流れがグンと変わり無事今に至りました。
いやーーーー辛かった!しんどかった!
でも、離婚とならず本当に良かった!
子どもたちのためにも、いろいろと生きていくことがしんどい私たちだけれどもこの社会で生きていけるようにこれからもがんばっていこう!
いろんなことがひと段落つき、今そのようなことが心の中に広がっています。
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