読書メモ(山本美紀『音楽祭の戦後史』白水社、2015年)
音楽祭を「サロン型」と「結社型」に分類し、前者を朝日新聞社主も務めた村山未知による大阪国際フェスティバル、後者を現代音楽祭(二十世紀音楽研究所)とし、1990年代で途絶えた地域での音楽祭の歴史を追う。
おもしろいのは、「第五章 祝祭の黄昏 サロンと大衆の分極」。大阪万博におけるクラシック部門の開催にあたり、村山未知と万博協会のいざこざを描いている。現在進行形の万博を批判するため、ともすれば成功例とされかねない、大阪万博がいかに行き当たりばったりであったかがわかる。村山がエージェントを介しながらも、自身の実績と信用でとりつけてきたヨーロッパの団体との契約を赤字が膨らむのを恐れ、村山抜きでキャンセルしようとしたため、村山が降りてしまう。しかし、結果的に、大阪国際フェスティバルと万博の共同開催のかたちで落ち着き、実現できた部分もあったのは良かったのでは、とは著者の理解。
「第六章 前衛と祭り」では結社型の現代音楽祭を扱う。音楽家の私的・同人的な集まりが、音楽祭を行うが、「作曲家・演奏家・聴衆という音楽にかかわる三方向の啓蒙、出会い、交流をめざしてスタート」した(p132)。だが、1950~60年代にかけて、エリートが海外の最先端の音楽を独占する時代は終わり、参加者もみな大家になってしまったことで結社型の良さは失われていってしまった。このあたりは戦後史における集まりの問題として興味深い。
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