希望がなくても、救いがなくても
どうも。Ruriya(るりや)です。お久しぶりです。
ついに東京を去ることになりました。本当はさりたくないけど、失業保険中に仕事を見つけられなかったので仕方ないです。
正直みんなが羨ましくて辛い。自分だけなんでこんな不幸なんだろう。病気はどんどんあるわ、母はがんになるわ、手術は失敗するわ。首になるわ。あげくに自分のルーツの理容室が火事になったそう。どんだけ呪われてるんだってレベル。
神様がいるのなら、もうそろそろいい加減にしてほしい。
もう十分だろう。
ただまあ。生きてさえいればなんとかなるんじゃないかという絶望的幸福論を確立したい。こんだけ不幸のどん底に落ちるとこれ以上の不幸ってあるのかってレベルに達していく。生きていくしかない。こんだけ落ちた人間が逆転できるのかって逆にワクワクする。
会津若松のような田舎では本当に暮らしにくいし、同級生もいないし。つまらない刺激がない。母にまた東京に戻りたいと言ったが、無理と言った。
まあそうだろう。僕もそう思った。
自分はこれからどうやって生きていくのか。惰性で生きるのか。それとも死ぬほど努力するのか。たぶんここまできたら死ぬほど努力するか、自分でいのちをたつかどちらかだろう。いつ死にたくなってもいいようにする。
がんばります。残りの敗戦を。敗者復活戦はあるのか。人生は不可逆的で時間は未来しかない。過去はない。
最後に。「希望がなくても、救いがなくても、絶望的な持ち場で頑張り通すのが義務なのだ。ポンペイの城門の前でその遺骸が発見された、あのローマ兵士のように頑張り通すことこそが。ー彼が死んだのは、ヴェスピオ火山の噴火の時に、人々が彼の見張りを交代させてやるのを忘れていたためであった。
これが偉大さであり、これが血すじのよさというものである。この誠実な最後は、人間から取り上げることのできない、ただ一つのものである」
オズヴァルト・シュペングラー
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