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自灯明法灯明 Podcast #9 Bhikkhu Santiさん最終回

このPodcastでは、私がスティーブン・バチェラーさんのセキュラーな仏教のプログラムで出会った欧米の方々にインタビューをしていきます。先週に引き続き、テーラワーダ仏教の僧侶である、アメリカ人のBhikkhu Santiさんへのインタビューの最終回です。(全3回)

英語+日本語版(逐次通訳)、英語版

Bhante* Santiさんは、アメリカ北東部で生まれ育ち、世界の様々な国で仕事をされたのち、アメリカに戻られ、それからテーラワーダ仏教の僧侶となられた方です。現在は、ニューヨーク・クイーンズのインドネシア系のテーラワーダ寺院にいらっしゃいます。

*Bhanteはテーラワーダ仏教の僧侶の方への敬称です

今回のBhante Santiさんのお話から、印象に残ったところを取り上げてみます。

あくまで私の個人的な体験なのですけれども、タイの森林僧の伝統を守るということが、アメリカでは、必ずしもその精神とは異なってしまうことがあるわけです。精神の修養をしながら、定住する場所を持たずに森林を放浪することは、結果として自由な境地と通じる訳です。私のいた僧院の戒律を守ることは、むしろ、カトリックの修道院で、この場所に留まるという誓いを立てることに近いものでした。私が出家をした宗派は、アジャン・チャーというタイ森林僧の偉大な方が設立された宗派でした。アジャン・チャーさんは、幅広く教えを求め、驚くべきことをしたイノベーターと言えるような方でした。それが、世代が変わるにつれて、ルールや規範を当時の通りに守るという保守派が生まれてしまった訳です。私が宗派を変わった背景には、こういうことがありました。

単純に一般化するのは避けたいですが、アメリカで、インサイト・メディテーション・ソサエティに多くの人が惹きつけられているのは、その経験主義によるところが大きいと思います。セキュラーな(宗教色のない、時代にあった)仏教を求める人にとっては、初期仏教で強調されているような、自分自身での発見ということに惹かれているのだと思います。自分の経験を吟味するというところです。

最初のリトリートに行った後、もっと学びたいと思って本屋さんで見つけたのが、「Buddhism without beliefs、直訳:信じることのない仏教」という本で、自分の興味はまさにこれだと思ったのでした。この本が、スティーブン・バチェラーさんとの出会いでした。スティーブンさんは、現代を生きる人々に、ブッダの教えによる価値を理解できるようにしてくれているのだと思います。
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