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自灯明法灯明 Podcast #8 Bhikkhu Santiさん 第2回

このPodcastでは、私がスティーブン・バチェラーさんのセキュラーな仏教のプログラムで出会った欧米の方々にインタビューをしていきます。先週に引き続き、テーラワーダ仏教の僧侶である、アメリカ人のBhikkhu Santiさんにお話を伺います。(全3回)

英語+日本語版(逐次通訳)

英語版

Bhante* Santiさんは、アメリカ北東部で生まれ育ち、世界の様々な国で仕事をされたのち、アメリカに戻られ、それからテーラワーダ仏教の僧侶となられた方です。現在は、ニューヨーク・クイーンズのインドネシア系のテーラワーダ寺院にいらっしゃいます。

*Bhanteはテーラワーダ仏教の僧侶の方への敬称です

今回のBhante Santiさんのお話から、印象に残ったところを取り上げてみます。

数年間にわたって、いくつかヴィパッサナー瞑想、初期仏教をベースにしたリトリートに参加しました。そういった中で、たまたま家から車で行ける距離に、テーラワーダ仏教の僧院ができました。週末に日帰りで行くところから始まって、正式なオープンをボランティアとしてお手伝いし、そこに集まる方々と親しくなっていきました。僧院では、たとえば若い僧侶は、世の中でモチベーションとなるような様々なことを断念し、出家し、全てを精神的な修養に捧げるわけです。このことが私のとても深いところに触れました。浮き立つような気持ちになったのです。これが私の次のステップだと。私は仏教を生きるということをしたかったのです。

初期仏教というのは、アメリカにおける仏教では、ますます支持されるようになっています。伝統的な仏教の中では、テーラワーダ仏教になります。これは、ゴータマ・ブッダの教えを、初めて経典にしたパーリ語経典に基づくものです。なお、後世の大乗仏教はサンスクリット語で著されています。アメリカでは、テーラワーダ仏教が、ブッダという歴史上の人物が説いた教えに最も近いと受け止められています。私自身は、大乗仏教のような後に展開された教えにも、精神的な修養にとって大きな意味があるので、単純に原点に近いということで判断するというのは適切でないと思っています。私がテーラワーダ仏教の僧侶になったのは、一貫性が高く、哲学的で、僧院という文化があり、私自身に最も響くものだったからです。

僧侶になって5年ほど経って、私はある岐路に立っていました。このまま、この宗派にとどまるのか、それとも、ここを出るのかということでした。私のいた僧院は、タイの伝統的な森林派に属し、しっかりとした基盤のあるものでした。その戒律には、文化的なものもありました。テーラワーダ仏教が文化的に根付いた国であれば、托鉢に出れば、在家の方も受け入れてくれます。けれども、アメリカではそうはいきません。戒律を厳格に守る良い僧侶であることは、在家の方と交流を持つことに対して、多くの犠牲を払わなければならないという、パラドックスがあったのです。

出家するということが絶対だとは決して思いません。あくまで、私にとって、大切なことを手放すこと、そうすることがどういう意味を持つのかを深く探ることがとても大切だったのです。出家をすることが、その方のコミットメントを示すとか、初心者であるのか上級者であるのかを示すとか、そんなことではありません。あくまでも、その方の個人的な性質によると思っています。時期についてもそうです。若い頃からが良い方もいれば、歳を重ねてからの方が良い方もいます。出家することがむしろ適切ではない方もいるでしょう。

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