Day 177 人を助けられなかった【アラサー女子のスパルタcoop留学】
今日学校から帰ろうとすると、通行人の視線がある一点に集まっていて、人が集まりかけていました。
視線の先を見ると、道で倒れている女性と、彼女の体をゆすったり、彼女に心臓マッサージのようなことをしたりしているホームレスらしき男性がいました。
2人は知り合い同士にも見えたので、通行人も手伝おうか悩んでいるような感じでしたが、脈をとったり呼びかけたりしてみる人もいる。女性からは全く反応がありません。
人の集まり具合がまばらで、その男性も目の前の危機的状況の割にはのんびりしている感じだったので、いつからその状態だったのか、既に手遅れなのか?などと戸惑いながら。救急車は犬の散歩をして通りがかった人が呼んでいた様子。
するとそこに新たに通りかかった女性が、「向こうにパトカーが見えるからとりあえず伝えてくる!」と颯爽と歩いて行きました。
そして、数か月前に目の前で人が倒れたのを見て救命講習まで受けていた私は、結局何にもせずにそこを通り過ぎてしまいました。
もう少しできることがあったような気もするし、できなかった気もするけれど、前回目の前で人が倒れた時と比べて自分の中で他人事の感覚が強くて、この差はなんなんだろう?と思いました。
どんな状況だったら積極的に助けに行っていたのかなと思うと、
・倒れた瞬間を見ていた
・周りに誰もいなかった
・知っている人だった
・近くに病院があるなど解決策が目の前にあった
・直接助けを求められた
などが思いつきました。
(でも最後に通りかかってパトカーに伝えに行った女性はこのいずれでもなかったのに、すごいなあ。)
そう思うと、結局以前私が人助けのために積極的に行動したのも、「人を助けたい」というような立派な意思が働いたというよりは、物理的に目の前で起きていて当事者と感じる要素が多かっただけなのかな、と思いました。
そしてもう一つ見逃せないのは、自分の中に「大変そうだけど今日は疲れたから無理だ」という気持ちがあったことです。
疲れていた理由は本当に大したことない、授業のグループワークと仕事です。目の前で生死をさまよう人がいることに比べたらどうでもいいことなのに、やっぱり精神的な疲労を感じていると行動は起こせなかった。
でも私は何事でも自分のベストを尽くしておくというのがモットーなので、疲れていない時の自分には怒られそうです。
そう思うとまず自分の心身の状態を整えるのも人助けに必要なことなんだなと改めて思いました。
もちろん私は何の専門知識も技術もないので、今回「何かできたのに」と後悔するのは逆に図々しい話だし、こういう場面で自分が納得したいという理由だけで動くのはかえってよくないこともあることは認識しています。
でも何か少しでも自分の出来る範囲で役に立てることがあるならば、素通りではなく動く側の人間でいたいな、と思っています。
ただ普段は割とそれを心掛けて過ごしているので、それでも今日何もできなかったのはだいぶストレスで削られているな、とも感じました。
(もう書きたくないけど今日もグループワークが面倒なことになっていた。)
ひとまず明日一旦先生に見せればひと段落なので、引き続き頑張ろうと思います。
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