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雑記、3月

noteの下書きは相変わらずいっぱいで、頭の中もぐちゃぐちゃで。やりたいことも書きたいことも、見たいものも知りたいこともたくさんあって、ひとつも綺麗に片付いたことなんてなくて。
ああ、でもそういえばこれまでもずっとそんな生き方をしてきたなあ、と笑っている。

良いとか悪いとかじゃなくて、これが「わたし」だったなあと気がつく瞬間があったし、それでいいのかもしれないなとぼんやり目を細めた、そんな3月だった。(まだ終わっていないけれど)

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出会いと別れを繰り返し、とはよく言ったもので。大人になっても、こんなにも歳を重ねても、やっぱり、別れは寂しくてさびしくてたまらないものなのだと知って苦しかった。別れがあるから出会いがあるのだとわかっていても、なぜ別れなければならないのかと駄々をこねていた。どうにもならないのに。

でも、あのスポットライトを見た時、眩い光を浴びた姿を想像して、紡がれる言葉を受け止めたら、すべてが身体から抜け落ちていくような、そんな感じになった。ふわふわと、いや、ちがうか、ぽろぽろと。

どうしても別れを受け入れられなくて夜通し泣いた日のことも、愛おしかったあの日々を撫でるように振り返ってずっしりとした重みに耐えきれなくなったあの日のことも。わたしの心の中で輝き続けるあの日々よ、思い出よ。どうか色褪せないで、大切なままでいてと祈ることも、幸せを勝手にこれからも願ってしまうことも、決していけないことではないと言ってもらえたようで、勝手に許された気持ちになった。
これからもぽろぽろと零れ落ちてしまうかもしれないけれど、それでもいいよと言ってもらえていると勝手に解釈して、わたしはその手を握る。春の嵐に紛れて。

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推しが結婚した、というタイトルのブログを生きている間に書くと思わなかった。という文から始まるブログをずっと下書きに溜め込んでは、書いては消して書いては消してしている。いま、まさに。推しの結婚をエンタメ的に消費するつもりはないのだけれど、でもそんなブログを書こうとしている時点で消費しているのだよなあと思ってはいる。嫌なオタクだよ、まったく。加藤さん、あなたがしあわせでいてくれたら、たぶんわたしもしあわせなんだよね。うん、これだけは一点の曇りもなく言える。

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3月下旬はいっぱいブログ書くぞの宣誓のために、雑記をひとつ。(タイトルの写真は、わたしのだいすきなカフェのチーズケーキだよ。器もかわいくてだいすき)

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