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「大陸電気力学」?

 19世紀における電磁気学の成立過程において語られることが多い「大陸電気力学」(Continental Electrodynamics)。
 通常の通史的な理解[1]では、19世紀初頭(ちょうどエコール・ポリテクニクの形成と同時期ぐらい)にラプラスのパラダイム――物理現象を距離の逆二乗に比例する遠隔力が働く不可秤量な(imponderable )流体の運動に還元する――にしたがって、電気・磁気作用を数量化したフランスのビオやポアソン、同じく遠隔作用の立場に基づいた理論をつくったドイツの父ノイマンや次男ヴェーバーなどが、いわばイギリスの物理学者たちによって「場の理論」が形成されるまでの過渡期に活躍した「大陸電気力学」の代表的な学者として挙げられる。
 しかし、一体「大陸電気力学」に対して一枚岩的な定義が可能であるかどうか、最近疑問になっているところである。
 (多少、恣意的なサンプルかもしれないが)例えば、アンペールなんかはどうだろうか。彼が『実験から一意的に導かれる電気力学的現象の理論』(1826)において展開した、電流要素間に働く力の表式は明らかに遠隔作用に基づいたものそのものである(彼がその序文[2]にて、自らがこれから行おうとすることの範例をニュートンに求めていることからも明らかであろう)。しかし、彼はまさに盟友フレネルと共に、ラプラス・パラダイムの信奉者たちである「アユルク会」を相手に論争を繰り広げ、エーテルを介した光と熱の作用の伝播を支持した当人であり[3]、さらに未発表の草稿においては電流要素間に働く力もエーテルのような何らかの媒質によって伝播されることを考えてさえ(つまり、近接作用論に傾いてさえ)いた[4]のである。
 このようなことを考慮すれば、確かにアンペールは父ノイマンや次男ヴェーバーの研究の源泉であることに間違いないが、だからといって彼を「大陸電気力学」の学者として即座に分類することは躊躇われるように思えて仕方がない。
 また、遠隔作用に基づいた理論形成を「大陸電気力学」の分類指標としたとしても、なかなか首肯できないような事態が発生する。
 (これまた恣意的なサンプルではあるが)「場の理論」の形成に貢献した一人として挙げられるウィリアム・トムソン(ケルビン卿)は『磁性の数学的理論』(1851)にて、「大陸電気力学」の学者たちがしたように、磁性体の磁気作用を磁気物質(magnetic matter)の分布によって考え、ポアソンが導き出したのと同じような静磁気の分布の表式に至っている[5]。無論、彼は磁気物質の実在性を否定しているし[6]、彼がこのような手法をとったのは単に若い頃からフランス流の物理学に慣れ親しんでいた[7]からからかもしれないが、それでも「大陸電気力学」と「場の理論」とを明確に切り分けることができないことを表す一例であるのには変わりない。
 ここまで書いて「コペンハーゲン解釈」がふと頭にのぼった。(量子力学の歴史についてはミリも知らないが)どうやら「コペンハーゲン解釈」と呼べるような単一の解釈に関するコンセンサスはないらしい。「大陸電気力学」に関しても同じことが言えるのではないか(少なくとも、「アユルク会」にしか単一のコンセンサスを認められないのではないだろうか)。

[1]例えば、P. M. ハーマン『物理学の誕生――エネルギー・力・物質の概念の発達史』杉山滋郎訳、1991年、朝倉書店。
[2]André-Marie Ampère, Theorie des phenomenes électro-dynamiques, uniquement déduite de l'expérience, Mequignon-Marvis, 1826, pp. 3-4.
[3]橋本毅彦「熱と光の本性についての論争――ラプラス的自然像への反逆」、横山輝雄編『科学における論争・発見――科学革命の諸相』所収、1989年、731-104頁。
[4]Christine Blondel. "Vision physique «éthérienne», mathématisation «laplacienne»: l'électrodynamique d'Ampère." Revue d'histoire des sciences (1989): 123-137.
[5]William Thomson. "X. A mathematical theory of magnetism." Philosophical Transactions of the Royal Society of London 141 (1851): 243-268.
[6]William Thomson. "XXIV. On the theory of magnetic induction in crystalline and non-crystalline substances." The London, Edinburgh, and Dublin Philosophical Magazine and Journal of Science 1.3 (1851): 177-186.
[7]トムソンが如何にフーリエやポアソンらフランスの物理学者たちの手法を受容したかについては、夏目賢一「ウィリアム・トムソンの力学的モデルと19世紀初頭のフランスにおける物理学の方法」(『科学技術史』12号所収、2012年、19-62頁)を参照されたい。


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