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新潮文庫の100冊と私

 新潮文庫の100冊、毎年冊子は持ち帰るものの特に何をするでもなく溜まっていくのみ。
 今年はせっかくなので、新潮文庫の100冊を見ながら私の読書傾向も眺めていこうかなと思う。

 2024年の新潮文庫の100冊のうち、既読本は20冊、買って積んである本は11冊あった。つい先週買ってきて、長期的に積む予定ではなく一時的にまだ読んでないだけの本が3冊ほどあるので、この夏が終わるまでには既読本が23冊、積み本は8冊になっている。はず。

 すでに読んでる本なら20冊、すなわち新潮の100冊全体から20%は読んでいる。
 これが多いか少ないかは人によるだろうけど、私としてはまぁまずまずかなと思っている。

 新潮は100冊を「愛する本」「シビレル本」「考える本」「ヤバイ本」「泣ける本」の5つのカテゴリで分類しているのでそこも確認してみる。

愛する本:既読6冊、積み本3冊
シビレル本:既読4冊、積み本3冊
考える本:既読2冊、積み本4冊
ヤバイ本:既読3冊、積み本1冊
泣ける本:既読5冊、積み本0冊

 こう見ると、私は「愛する本」と「泣ける本」をよく読んでおり、次いで「シビレル本」もまぁそこそこには読んでいるらしい。パラパラと作品を確認してみると、やはり私は「愛する本」カテゴリの本が1番好きな気がする。
 先に書いた「一時的に積まれている本」も、3冊のうち2冊が「愛する本」カテゴリのものだった。
 多分、読書傾向的に「愛する本」カテゴリのものを好きになりがちで、それを無意識に自覚しているから手に取る本も自然と「愛する本」カテゴリのものになりがちなんだと思う。


 逆に「考える本」カテゴリの本は途中で離脱したものが多い。多分私には難しすぎるんだろうなと思う。

 「考える本」カテゴリの作品で最後まで読了した数少ない作品に、太宰の『人間失格』がある。これは私にとってかなり印象深い作品なのだ。
 なぜかと言うと、私は初めて『人間失格』を読んだ時、まったく良さや読み方がわからなかったからな。これを読んで私は何を思えばいいんだ……と狼狽えたのをよく覚えている。中学生だか高校生だかの時で、授業でメロスと富嶽百景は読んでいてどちらも面白く読んでいたから、余計に「何でこの作品はこんなにわからないんだろう」と思った。

 大学生の時に読み直して「あー…なるほど…?」とうっすら理解したのだけど、いまだに楽しめるレベルでは読めていない。
 ヘッセの『車輪の下』もゲーテの『若きウェルテルの悩み』も、途中まで読んで投げてある。ウェルテルの方は、途中から寝る前に読もうとして1ページも読めずに寝落ちるという習慣が出来上がっていた。多分わたしには「考える本」はまだ早いんだろう。あと5年…いや10年とかしたら面白く読めるのかもしれない。


 昔よくわからなかった本でも改めて読むと面白い、みたいなことは案外よくあって、例えば「泣ける本」カテゴリで紹介されている『星の王子さま』は私にとってそうだった。
 初めて読んだのが小学生とかの時で、その時は率直に「何だこの意味わからん話は」と思った。

 大学生の時に『君の膵臓をたべたい』を読んだ。その時に『星の王子さま』が出てきて、その時に読み返して初めて「あぁ、いいな」と思ったのだ。

 見てみると「泣ける本」カテゴリの本は、小学生くらいの時に先生から勧められた本が多いような気がする。
 『西の魔女が死んだ』も『夜のピクニック』も『博士の愛した数式』も、小学校の教室に置いてあった気がする。そして、どれも小学生が読むにはちょっと難しいんじゃないかという気がする。

 単純に私が「本をたくさん読む小学生」にしては頭が悪かっただけかもしれないけど。


 とにもかくにも、昔読んでよくわかんないなあと思った作品を、改めて読み返した時に感動するという体験はなかなか気持ちがいい。
 だから私は何度でも『人間失格』を読むし、そのうちまた『若きウェルテルの悩み』のもトライするだろうと思う。
 ただ、あんまり背伸びばかりしていても疲れちゃうから、2024年下半期は悩んだら手薄気味な「ヤバイ本」と「シビレル本」カテゴリから何か読もうかなと思う。

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るおん
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