るおん
個人的に好きだった芥川関連記事を集めています
7/24に東京に行った。 その時のことを書こうと思う。 まず事前情報。 7/22、新幹線が止まってしまった。 この脱線によって22日は丸一日運行が停止されてしまった。22日夜時点では23日の運行の見通しも出ていなかった。 新幹線が止まったことに私は焦った。新幹線で行く予定だったのだ。そりゃ焦る。もちろん豊橋駅と三河安城駅の間も通る。 7/24の14時にはどうしても東京にいなきゃいけない。なぜかというと、田端文士村記念館で行われる特別講演会「書斎“澄江堂”を
昨日本屋に行ったらウサギがいた。 違う、ウサ耳をつけた人がいた。 多分男の人。ショートパンツからよく見えるすらっと長い足は網タイツを履いていて、足元には黒くて高いピンヒール。髪の毛は初音ミクみたいな色で、切り揃えられたボブカットはサラサラだった。そして頭には黒いウサミミ。 私は、いつも通り文芸評論コーナーで芥川龍之介を探してぶらついていたのだけど、知らないうちに隣にその人が居て、馬鹿みたいにビビり散らかしてしまった。 本屋でする格好か!?!?!? ほんで文芸
今日は「ブルーピリオド」と「海が走るエンドロール」を読んだ。どっちも創作をする人たちの漫画で、こういうのを読むと創作をやりたくなる。 だけども実際、創作って大変。 大変なので中々やらない。 何が大変って、時間がかかるのだ。実作業時間ではなくて、頭を使ってこねくり回したり己のあり方に悩む方に時間がかかりすぎる。 しかも悩むのって異常に疲れる。やればやっただけ終わる労働の方が楽だし疲れない。 こういうことを言うと、私の脳内に住む芸術至上主義のオタクが「創作は疲れ
休みの日って時間たくさんあるはずなのに何もやる気が出なくて平日より何もできないの謎だ〜〜 これはなんか憮然としてるディグダ
今日の朝、通勤途中の家からピアノの音がした。 そのピアノが小学校の校歌だった。しかも奇跡的にちょうど今日の始まるタイミングで通りかかったようで、めちゃくちゃ懐かしい気持ちになった。 私はバリバリの地元就職(実家と会社が同じ町(市町村の町です)にある)なので、本当に出身小学校の校歌だったのだ。 なんなら小学生の時は吹奏楽部だったので、同世代よりも校歌を聞く(というか演奏する)機会が多かったのだ。で、ノリノリで聞いていたら、ピアノあるあるの「わかるとこだけめっちゃ速い
寒すぎる。本当に。 ここ2日くらい急に寒い。こんなに寒くては気が狂ってしまうんじゃないかと思っている。けれど狂わずに毎日生きているのでえらいなと思う。 今日、やったこともない仕事を急に振られてびっくりした。いろんな人がフォローしてくれてなんとかなったけれど、信頼している人(向こうも私を信頼しているから無茶ぶったのかもしれない)から雑に仕事を振られてありえないくらいびっくりしてしまった。 でもなんとかなった。えらい。 あと今日、明日締め切りの書類に必要な書類が
働く女に最適な服がスーツなわけないと思う。 久々にスーツを着たのだけど、動きづらすぎて戦慄した。本当に動きづらすぎる。窮屈だし、腕上げづらいし。 私は細くはないが標準体型な女。だけど、肩幅に合わせてスーツを買うと二の腕がパツパツになって動きづらい。腰回りに比べて太ももが太いのか、ウエストに合わせて買ったスカートも、ピチピチで座ると太ももに押されてムチッとなる。 こんな服が働く女の服な訳があるか!! 胸元が大きく開いたジャケットなんて、いっそ「エロコスチューム」
家の冷蔵庫の中にチューブのツナマヨが入っているのを昼見た。 いいじゃん、と思い、家に帰ってから小腹が空いたのでパンにそれを乗せて焼いて食べようと思った。そして気づく、お前マヨコーンじゃねえか。 マヨコーンかよ〜〜好きだけどさ〜〜〜ツナマヨの気分だったのになあ〜〜と思いながら、せっせと晩御飯の準備をしている母親に「これツナマヨじゃなくてマヨコーンだった〜」と言ってみる。 そしたら母が「ツナマヨもあるはずだよ?」と言った。昼間見たあのツナマヨは本当だったんだ!!と思っ
を作った。 本当は自分用のグッズをいくつか作って、まとめて記事にしようと思っていたのだけどちょっと可愛すぎたので完成とともに自慢する。 作ったと言っても、顔のパーツと配置を決めて、体をAmazonで頼んで、服もAmazonで、髪の毛は他の既存キャラからお借りした。 なのにこの満足度。やばい。ハマりそう。 みんなもねんどろいどを作った方がいい。 生活が豊かになります。
noteが続かない。 毎日を記事を書いているけれど、本当にそれだけ。人に見せるための日記を無理やり書いて、それをnoteというプラットフォームに投げている。本当にそれだけ。 私にはとにかくインプットが足りていない。 私が長く続いているSNSは、Twitterと BlueSky。どっちも延々とダラダラ見続けて、好きな投稿にはいいねを押して、それでなんとなくコミュニティが広がって、なんとなく友達が増えて。 私は真っ当なコミュニケーションが苦手で、言葉で会話をすると疲れ
今日はニトリに行った。 棚と、掛け布団カバーと、カーテンを買った。 もう3ヶ月分くらいの「買い物」をやった気がする。やり尽くした感がある。 そもそも買い物がそんなに好きじゃない。人がたくさんいるところは疲れるし、選ぶのも決めるのもお金を払うのも嫌い。だけど買い物をした。えらい。 家に帰って買ったものを設置してみると部屋の印象がガラッと変わった。思ったより変わった。 見慣れなくて、これがいい変化なのか悪い変化なのかがいまいちわからない。 ただ、カーテンの裾
ほしい!!!!!!! 旧TwitterやBlue Skyなどの文字主体のコンテンツにハマりがちなのに、何故かnoteにはあまり滞在できていない私。 滞在したい意思はあるし、noteでもお友達がほしいのになぜなのか。というのを考えた結果、自分ではなくnoteの方に「こんな機能くださいよぉ〜〜」とねだることにした。怠惰である。 もしかしたら既に存在しているのに私が機能を見つけられていないパターンもあるのかもしれない。そういう時は教えてください。 画像検索機能 これ
今日はしゃぶしゃぶを食べに行く 酒も飲む 給料日前なのにこういうことをできるのが実家暮らしなのである
飲み干すタイプである。 飲み干すタイプだけど、「飲まないやつは気合いが足りない」とか言う人には否定的な姿勢をとっている。 しかし、飲まない派の「健康に悪い」論に対しても共感しかねている。なぜかって、そもそも本当に健康を気にしている人はラーメンを食べないと思うからである。 じゃあ何なんだお前はと問われたら「美味しいものは美味しいところをしゃぶり尽くしてでも食べるべきである」という主義主張を携えているタイプの人間だと答える。 私はラーメンのスープを飲み干すのが美味し
人生には「できること」と「やったことがない/やらないこと」しかないんじゃないかと思う。 つまり、人間が本気を出してなりふり構わずやったら、できないことなんてないんじゃないかというわけである。 「幸せになる」とか「夢を叶える」とかそういうふわっとしたことじゃなくて、もっと具体的な「年間所得○円」とか「月間PV数○万」とか、そういうのだったらなりふり構わずやったら達成できる気がする。 私の書いた「なりふり構わない」ということの意味は、「それに伴う惨めな感情ややりたく
人間はそこそこに働くべきである。 というのを持論にしている。 自分にいわゆる「ニートの才能」というやつがないから思うことなのかもしれないけど、ゆるい労働は健康にいい気がする。 決まった時間に起き、活動を始め、家を出て、会社で人と挨拶をして、何かしらの目的のために労働をやる。お昼休憩にご飯を食べて、また働き、さようならと挨拶をして家に帰る。 そういうテンプレみたいな日常は、味気ないと言ったらそうかもしれないけれど、規則正しいとも言える。と思う。 規則正しいの