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「波紋」現代日本に漂う、不穏な空気感を描きながらも、それをフラメンコで振り払おうとする無力感の具現化

荻上直子監督の昨年の公開作「川っぺりムコリッタ」は、世間から外れた人々の生と死の物語であった。「かもめ食堂」から続く、一連の作品を見続けているが、彼女の作品には常にそういうものがテーマの一つになっているように感じる。

そして、この新作。物語の起点を東日本大震災において、そこからの12年の及ぶ、日本の何か行き詰まった閉塞感が描かれていた。パンデミックまで話は至ってないから、約10年間に、日本のあちこちで起こっていたであろう物語がここに描かれている。昨今は、統一教会問題が巷をまた賑わせているが、彼らがこの10年が日本での稼ぎ時だったのだろうなということも浮かび上がるし、その時代が、結果的に安倍政権時代であることを考えると、そんなことは語らないまでも、そのどうしようもない過ぎ去ったイカれた時代をここに感じる。作品としては、荻上監督作品としては、風刺的な空気に加え力強さが加わった感じ。静かに時代に怒る感じが作品内に見え隠れする。そして、主演、筒井真理子は圧巻の演技で、今年の女優賞をにぎわせることは確かだと思う。

(このあと、ネタバレあり、注意!)

ファーストシーンは、東日本大震災があって、福島原発のニュースをテレビでやってる。こんな団欒風景はあちこちであったろう。そして、皆が勝手な解釈でそれを受け入れ、政府はうやむやなことしか言わない、もはや、いつ国が崩壊してもおかしくない状況。その時の政権が民主党だったことで、その悪口を安倍晋三は言い続けて死んでしまった。悪口は本当に言ってはいけないということを首相自ら示してくれたわけだ。

そして時が過ぎて、家の姿は変わり、妻の筒井真理子にフォーカスが当たり、その水を讃える宗教とスーパーの仕事を繰り返す生活を追っていく。その辺りは、それほどこちらの予想を裏切らないような世界。

宗教とは、人の心を安定させるためにあることは、この映画を見てもよくわかる。そして、教祖のキムラ緑子は、言葉巧みに水を売ってくる。皆が祈る場がいかがわしさはあれ、気は良く見えるのは映像の魔力というか、なかなかすごい。

そこに、失踪した亭主、光石研が帰ってくる。汚い格好をした彼を受け入れないわけにもいかず、あげるが、彼はそのまま住み着いてしまい、「がん」だから薬代を払ってくれという。そんな気分を害す話も、新しい水を買ってきてなんとか乗り切る。宗教とは、人が自分の心を紛らわすものである。そういう部分が悪いとかそういうふうに説明的に描くことが一切ないのがこの映画の不気味さである。

そして、光石がガーデニングしていた庭は、枯山水に変わり、筒井が毎日そこに波紋を描く。これが象徴的な心の逃げ道の姿だったりするのだが、それも、ただ観客にその姿を見せることで彼女の心の波を抑えるのを描いているように写すだけ。そう、彼女の日常の積み重ねの中にこの時代を生きる人間の歪みみたいなものを描いていく秀逸さは重厚感がある。

光石は、そんな彼女を不思議に観察しながら、止めることはない。彼の薬代も払ってくれると言われたし、波風立てることもないのだろう。しかし、息子の磯村悠斗が、障害者の婚約者(津田絵理奈)を連れて帰ってきた時、妻が直接的に嫌な感じに息子を責めるのを見て、壊れた妻に壊れていく。この瞬間がくるところが秀逸だ。津田の雰囲気も筒井を壊すのに十分だったりする。彼女に「息子と別れてくれ」というところは津田の演技にも凄みがあり印象的なシーンになっている。

そして、宗教の信者の中の、江口ともみや平岩紙らの描き方が比較的温厚であり、宗教自体を話の中で弄るところが全くないのもこの映画の怖さである。何か、こういうものは永遠に不滅のような描き方なのである。そして、この雰囲気は、江口や平岩だからこそ作れている気はする。

その辺りへの違和感よりも、隣人の安藤玉恵との猫の話とか、スーパーで商品に難癖つけて半額にしようとする柄本明とか、スーパーの清掃婦の木野花との友好の話とかの方に、ドラマを持っていき、そちらの出来事で筒井の心が動いていくのは、「宗教よりも現実の方に答えがある」ということなのだろう。宗教など無機的な心の逃げ場でしかないと言っているようだ。

これだけ個性派俳優を集めてなかなかの贅沢な使い方。もちろん、筒井が主役だから、皆それがわかっていて演技しているのもあるのだろうが、日本映画界の芝居の底の深さみたいなものもここに感じる。筒井が主役であることがすごい贅沢なのだ。彼女の主役といえば、深田晃司監督の「よこがお」を思い出すが、あの映画以上に巧みに表情を変えながらの名演が見られる。

映画のタイトルは「波紋」。確かに、昨今は社会の事件や災害で大きな波紋が世の中に生じて、それが個々人の心を揺るがし、なかなか波動があう人間に会えないという方も多いと思う。そして、そういう社会的事象を起点に信じていた人が変貌したり、他人の心の違和感しか感じなくような病もある感じがする。自分自身もここ10年、疑心暗鬼に陥ることが多い。

そういう社会の空気感を見事に映画として具現化しようとして成功してる映画なのだと思う。大きなドラマは、最後に光石研が亡くなっていくところくらいなのだが、そこで自分をリセットするがごとく、喪服でフラメンコを踊る筒井。華麗であり、力強い。

熱量の高いブラックコメディの末に、未来に希望を持たせる監督の技。光石もカマキリのオスのように死んでいく、男の時代は終わりよと言わんがばかりに。そして、時代は明らかに惑うところから復活できた人間が作っていくものなのかもしれないと思ったりする・・。

宗教団体の集会の中に昔昔、私も入らされたことがあった。女たちは綺麗にしてそこにいる。だが、作られた「気」は彼女たちの色気というものを奪っていた。そして、考える以上に惑う人が多くいる。そう、現実逃避する人の多さに驚いた。監督は、この映画を新興宗教の前を通った時に思いついたと書いているが、そこで感じたイマジネーションはなかなかうまく形になっている。完成度は高いと思うが、こういう映画を見るのが辛い人も多いだろうなと感じる作品。・・とはいえ、荻上ワールド、観終わった瞬間に次回作が楽しみになるのだ。彼女の映画自体が大きな波紋を作る時代であって欲しい。



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