「37セカンズ」映画が終わったときにとても前向きになれる映画でした。
なんか、ポスターを観ても内容がよくわからなかったが、障害者の話という知識と、ネットで結構褒められていたので、観ることにした。結果、とても前向きになれる映画でした。主人公ユマにスイッチが入った後は、「ユマの大冒険」という趣で、まさかのタイまで足を運んでしまうのは予想だにしなかった。そのくらい、小さい世界から大きな海原に出ていく少女の成長物語として成立しているのと、彼女のアイデンティティーの回復が周囲の世界にも希望の時間を宿す感じはとても素敵である。ラストの彼女の笑顔はとても心地よい。
ファーストシーンは、なぜこれなのかと思わせる、主人公がお風呂に入るシーンから始まる。ラストまで見た後に、これがなぜ最初だったのかがわかる。主人公ユマの日常をある意味ドキュメント風に捉えていくことで、後半の冒険での成長が明確に観客に提示されるという仕掛けなのだ。
脳性麻痺で車椅子生活、声も小さいから、世の中に踏み潰されそうになるユマ。母は、よくあるように可愛い彼女を心配し過保護に扱う。だが、彼女は絵がうまくて漫画家のゴーストライターという仕事を持っている。彼女を使う漫画家は、冷たくはないが、彼女をうまく利用している。そんな生活に物足りない彼女はエロ漫画を拾ってきて、雑誌社に自分の売り込みに電話をかける。
売り込みに対応してくれた編集者は、「SEXした事ないとエロ漫画は書けない」と、彼女の作画は褒めながらも、彼女を返す。そして、観客も驚くような、「男を買う」という世界に踏み込む。この辺りまでは、少し見ていて辛い。そして、「この流れで障害者を扱うのかよ?」とこの映画の趣旨がよくわからなくなった。
でも、ラブホテルで、障害者にSEXで慰める仕事をしている渡辺真起子が出てきて、映画は一気にギアを変え始める。彼女と介護士の大東駿介がこの映画の中の輝きであり、監督が求めるあるべき姿の導き役なのであろう。様々なマイノリティーの中で自然に振る舞い、お互いの中に入りすぎずに、自然に生きている。できそうでできない世界を彼らが作っていく。
そこに主人公は、新しい光を見つけ、結果的に自分があったことのない父に会いにいき、まさかの事実を知り、話は海を越え、タイに舞台を移す。そう、この東京の新宿のイカれた街の周辺でグルグルしていた話が、海を越える話に展開するのは、観るものの気分を変える。リアルに海外旅行に初めて行った時のように、主人公を見守る感じでもあるし、彼女の表情自体が鮮やかに変化を示しているように感じた。その転換が早いのがまた良いのだ。
映画の冒頭から出てくる「父の書いた絵」の姿が話の結末にうまくシンクロし、画面に向かって「よかったね」と声をかけたくなる映画である。そして、未来には一人の漫画家になれるという道も感じさせながら、ラストの笑顔に結ばれる。
彼女が大東の車に乗って、「新宿のビルが顔に見える」というシーンが好きだ。「宇宙人が見ているようで、そんな宇宙人から見たら自分の人生なんて本当に小さい」というようなことをいうのだが、多分、監督が言いたいことはここだろう。それぞれの小さな人生、命を楽しまなきゃいけない。彼女をサポートする渡辺の役など、いろいろあっても、楽しまなきゃという感じそのものである。
とはいえ、この映画のまとまりは、主役の障害者である佳山明さんの存在に尽きるだろう。大学を出て社会福祉士の資格も持っているという彼女。この役と同じように初挑戦の役者として目一杯な感じがいい。そして、彼女の笑顔に救われる人は数多いだろう。彼女自身の未来にも良いことがありますようにと、観客の声が聴こえる。
こういう題材は世界に通用する題材であり、そういう意味で各国の映画祭で評価されたのは理解できる。私には、不器用なところを心のあり方で補っているような演出が印象に残った。それは、人間のぎこちなさが美しく映っているということでもある。映像は、作り手の心が作るものという考え方もあるなと思わせられた一作でありました。