「あの頃、文芸坐で」【89】山本薩雄監督「戦争と人間」を劇場で観るということ。戦争を描くという意義。
1982年8月11日、12日、13日と3日連続で文芸地下で「戦争と人間」三部作を観る。テレビでは観ていたが、劇場で観るのはこの時が初めてで、その後ないと思う。その前8月8日には、日比谷のスカラ座で「ポルターガイスト」を観て、そのままハシゴして、丸の内東映で「大日本帝国」を観る。考えれば、丸の内東映がまだ現在あることは奇跡的ですよね。でも、時間の問題のような気もしますけどね。で、共に結構面白かったみたいです。「大日本帝国」は、「二百三高地」がなかなか面白かったので、封切りで観たわけですが、夏目雅子の出演シーンだけが妙に脳裏に残っていますね。まあ、「戦争と人間」に比べたら、随分エンタメ性の強い映画でしたよね。それは、山本薩夫監督と舛田利雄監督の違いですね。
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では、コラムから。三浦大四郎オーナーの8月15日が「特別な一日」だという話。文芸地下では、毎年、この周辺で戦争に関する映画を流していましたが、私も、映画を通して戦争の悲惨さみたいなものを知った一人であります。昭和20年8月15日の記憶のある人が、残り少なくなる中、本当にこういう企画は常にどこかでやってほしいし、それも安い入場料で観せることが大事だと思うのですよね。それこそ、国の補助をそういうところに使うべきだと思います。まあ、カルト集団に選挙応援してもらってるような政権ではそんなところに目がいかないでしょうし、戦争でビジネスしようと企んでる輩にやってほしくもないですけどね。とにかく、日本のそういうポンコツなところを変えるところからやり直さなくてはいけないのは辛いですよ。安倍政権8年間でポンコツが度を越したのです。彼みたいな阿呆に対し国葬など私は終わっても反対でございます。
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そして、プログラム、文芸坐は前の週と変わらず。文芸地下も「社会を告発する」のプログラムが明確になってるだけですかね。オールナイトは、増村保造のあと、マキノ雅弘、山中貞雄の特集。増村監督もそうですが、この辺りは、作品の選出が難しかったでしょうね。あと、今以上にフィルムの状態が良いものが少なかったのは事実で、考えれば、このオールナイトの企画自体が、結構無謀だったのでしょうな。
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「戦争と人間」三部作は、三作合わせて9時間23分という日本映画最後の大作と言っていいと思う。実際はもう一作、作るはずだったが、日活が経営難でロマンポルノ路線に制作転換したこともあって、作られることはなかった。現在の製作委員会を作って映画を撮るという感じでもなかったから、日活自体はこの完結編を作ることも大変だったのだと思う。そんなこともあって、五味川純平原作の映画化としては、やはり「人間の條件」の方が完成度は高い。というか、私も戦争の惨さのイメージはこの映画で感じさせられた。
「戦争と人間」は、特に第一部は、石原裕次郎をはじめ、日活オールスター映画の匂いもあり、少し、華やかすぎるところがある。もちろん、舞台がブルジョアの家庭なので、それはそれでいいのだろうが、やはりアクション映画の空気感が残ってるんですよね。この一部で子供のときにテレビで見て最も脳裏に残っているのが、中国人役の栗原小巻が高橋悦司に「オンナ!」と侮蔑されて胸をはだける所。これ、本人か吹き替えかわからないが、その時のおっぱいのアップが忘れられなかった私である。そう、第一部の封切りが1970年で、もはやダイニチ映配での配給。そして、その当時の映画はおっぱいだらけになっていったのだ。そういう意味では、凄惨なシーンも多く、この製作年が映画の空気感に大きく影響している。
第二部は、左翼運動をする山本圭の印象が強い、そしてブルジョアの娘の吉永小百合との恋物語。そして、この二部は満州事変から盧溝橋事件までの話で、かなり重要な部分である。多分、一部と続けて撮ったものだろうから、ここまでは、なかなか映画に勢いがある。
そして完結編はノモンハン事件までで話は終わる。太平洋戦争前でうまく纏めてしまった感じである。この完結編の公開が1973年。もはや、日活はロマンポルノの会社になっていた。この映画の公開が丸の内ピカデリーだったことは、新聞の広告を見て覚えている。もはや、大作を公開できる自社の直営館さえなかったのだ。そして、出演者の中には片桐夕子など、ロマンポルノの女優も出ていたと記憶する。ある意味、不思議なマリアージュを感じさせる完結編。原作は、終戦、東京裁判まで描かれているらしいので勿体無い映画であることは確かだ。私的には、これを書いているうちに原作を読みたくなってきた。そう、もう一度この映画を作ることは難しいが、原作を読んで戦争を知り、語り継ぐことは可能だろう。そういう運動があっていいと私は思う。
どちらにしても「人間の條件」やこの映画をはじめとした戦争映画を観て語る会というものは、常時やるべきである。日本が戦争でやったことを美化したり、歴史改竄をしようとするものが増える中で、その真実を、戦争というものがいかに無意味なことかということを教えるのも、映画の役目である。
これを書いてる中でも、ウクライナでは無意味な戦闘が続いている。ただ、無意味だ。そして、その無意味な中で殺される人たちがいる。プーチンが犯罪者であることは確かだ。その犯罪者を見ているだけの世界の状況は、あの日本が戦争をやっていた時から、何も変わっていないと言わざるを得ない。だいたい、無意味な国葬をやるような国は、無意味な戦争をすることも簡単だと私は思う。本当に、政権にあることに酔っている阿呆たちから、目を離してはいけない。
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