「追悼 火野正平」穏やかでいい加減なと自分を称して消えていった正平さんとチャリオ君に本当に元気付けられたというのが本音です。
先週、20日に、火野正平さんの訃報を聞いた時には本当にびっくりした。今、彼の番組「にっぽん縦断こころ旅」はピンチランナーを配して秋の旅を行っていたが、ここで彼が朽ちてしまうとは夢にも思わなかったし、本当に残念だ。75年の生涯の最後にこの仕事を14年やったのは、何かの巡り合わせだったのだろうが、日本国中に火野正平をいう存在を再認識させた姿は本当に格好良かった。
知らず知らずのうちに年に2回の彼が自転車で駆ける風景を心地よく日課としてみていた。そして、男ってこういう歳の取り方が一番格好いいのではないかと思わせたりする彼の姿に惚れていた。そう、歳相応の知識をもち、自然を愛し、そして俳優としての思い出も語っていた。こんなに男にもチャーミングに感じる男はそうそういませんよ。本当に、若い頃にプレイボーイの代名詞みたいに言われていたが、これじゃあ女は惚れるよねという感じ。
そう、この間は映画「ラストマイル」で宇野翔平氏の父親役の配送ドライバー役として印象深い役をやられていましたね。あれが、最後の映画出演だったのでしょうか?最後まで、俳優としてもちゃんと仕事できていたことも幸せだったとは思いますが、もっと彼の姿を見たかったというのが本当のところ。
まあ、彼が子役で、当時の青春ドラマなどによく出ていたのも語りたいところなのですが、それはまた時間がある時に。あと、彼の唯一の主演映画であろう「俺の血は他人の血」の話もしたいところですが、それもまたの機会にという感じです。
とにかく今日は、「こころ旅」の未放送だった、最後の旅がBSで放送されました。ある意味、「こころ旅」の最終回です。それも1240日目と綺麗な数字での終わり方。
熊本の海辺の風景を見に行ったわけですが、始まりの彼の喋りが、ちょっともどかしいのが気になりました。呂律がまわらない感じ。問題は腰痛だったようですが、そんな気配は感じない旅でしたね。役者的には気が張ってそういう吐露はしないということでしょうか?
そして、途中、晩白柚を作っている農家さんに立ち寄りみかんをいっぱいもらう姿。まさか、みかんの食べ過ぎで調子悪くなったのではないですよね。そして、そこのおばさんと別れる時に「お互い長生きしましょう」という言葉。本当に、人間ってそううまく行かないんだなと思い知らされる。
時は、春。桜があちこちに咲いている。よく、「来年の桜は見られるか?」とか高齢や病気の方が言われますが、この時、正平さんはそんなこと思っていませんよね。そう、まだそういうことを思っているうちは、来年の目標の桜があったりするのかもしれません。とにかくも、私たちも来年の桜の下を走る正平さんを見られないという悲しさ・・。
とにかく、番組見てるうちに涙腺崩壊しそうでしたよ。で、やはりこの日も食事シーン。この日の食事はラーメン。店を出る時に、「残しちゃってごめんね」という一言。こういうことが言える優しさも正平さんですが、なんか、こういうの聞いても弱ってるのかなと思ってしまう。見ていて辛い。
そして、とうちゃこの場所は穏やかな海のある場所。そのキラキラを見つめながら、「鏡を見ているようだ」という。そう、そこに自分を見出しているロマンチストなわけですよ。そして、「穏やかでいい加減」という言葉が出てくる。それは、自分のことを称してそう言っていたわけだが、最終回で(本人はそう思っていないが)出る言葉とは思えなかった。本当に素敵なおじさんである。
ということで、番組を見終わり、また悲しみが心に宿る。何故に、神はこの人をこういう形で天に飛ばしたのか?まあ、「天国良いとこ一度はおいで、酒はうまいし姉ちゃんは綺麗だ」と彼自身は喜んでいい加減にやっているかもしれませんが・・。
とにかくも、14年間見続けて、いろんな貴重なことを学ばせていただいた気がします。火野正平の代わりはいないので、これで終わりでしょう。だから、ピンチヒッターとか立てたらダメなんですよ・・。
そして、NHKさんにお願いです。14年間のすべての旅を再放送お願いします。無理なら、ネットで全て見られるようにしてください。この番組は、東北の震災の後に始まって、コロナ禍を通り越して今にあったわけです。ある意味、この時期の日本にはそんなにいいことはなかったかもしれませんが、このある意味、苦難の時代の大切な記録です。そして、火野正平という男がいたという記録です。とにかく、お願いいたします。
ここで、再度、ご冥福をお祈りさせていただきます。正平さん、まだ霊はそに変にうろついてそうだし、今日の番組見ていたかな?
とにかく私も、しばらくは、穏やかにいい加減に暮らさせていただきます・・。
本当に、さらば火野正平!