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「天国と地獄(第10話)」人間の存在自体は、所詮、皆「くうしゅうごう」ということなのかもしれない。

ラスト、二度あることは三度ある、というオチなのだろうか?最後に、入れ替わりのこじつけのようなものがあったが、まあ、所詮ドラマである。こういうわからないような警察も手が出せないスピリチュアル的な事象はあっても言いわけで、それを視聴者にどう提示するかということなのだろうなと思った。そう、このドラマは「身体の入れ替わり」という事象が、うまい出汁となって味わいを増した逸品だったのだ。その料理の主役素材である、綾瀬はるかと高橋一生が、問題なく、いや予想以上にこの役をこなしたために、まあ今後も語り継がれるドラマの一つになっていいだろう。

最終回は、当事者たちが、真実を明かそうとすると同時に、護るべき人を護ろうとする出演者たちの様子が描かれた。北村一輝が勘違いをしていないというのには驚いたが、それが、このエンディングの処理を綺麗にした感じはある。

それぞれのキャラがそれぞれの立場で発言することで、実在した一人の人間だと確認している感じの最終回だった。つまり、脚本家の視線としては、「生きている限り、誰も『くうしゅうごう』などではないよ!」という、まとめ方なのかもしれない。

事件の大きなテーマは、同じ誕生の仕方をした2人が、育った環境が違っただけで、人生が変わったということ。そして、悪いことをしながら、のうのうと富裕な暮らしをしている人々を恨むゆえに、猟奇殺人を演じる人の狂気。なのだろうが、何故に、こんな猟奇的なやり方だったのかという部分には最後まで触れなかったのは少し残念。

環境の違いの犯罪というところが、男女の入れ替わりでの環境の違い、警察と犯罪者の入れ替わりでの、立場の違いというところにシンクロさせたかった?という感じはしますね。

そ結局、最後は奄美に話が飛んでいかなかった。最後の綺麗な石にその伝説を語らせるだけに終わったのは残念だった感じがする。奄美で、根本的な人の在り方みたいなものを双子の兄弟が語るみたいな状況を少し期待していたので、そこは肩透かしだった。(最後は、色々考えたんだろうなと思いますけどね)

あと、ラストは溝端淳平よりも、林泰文の方がテンション上がっていたのはなんなんでしょうね。溝端のうっかり事象がもう一つ二つほしかった感じもありますが…。

色々と最後まで説明されずにある部分はあるのだが、それは、このドラマがそんな大上段から、人間の愚かさを語りたいわけではないからだろう。森下佳子脚本のキレの良さは、この辺りの割り切りにある気もする。見せるものをちゃんと見せておけば、端端の細かいいい加減さは消えていくという理解な気がする。

そして、テレビドラマという、ある意味、外乱の入る(生活音とともに観られるということ)環境で、どれだけ、視聴者を集中させるか?という技術に関してはすこぶる上手いということなのだろうと思う。

そう、テレビの中で起こっていることを視聴者がいかに楽しむかが大事なこと。そういう意味では、とても面白かった。


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