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「怪物」現代の風刺劇なわけだが、ラストが爽やかなのには違和感を覚えた

カンヌで受賞したわけではないのだが、週末、結構、映画館には客がいた。是枝裕和監督、坂元裕二脚本というのが、それなりに興行力があるということだろうか?何が当たるかわからん時代ではあるのでそんなことに注目しても仕方ないが、私的には「怪物」というタイトルにもそんなにセンスは感じられず、まあ、そこそこの映画を期待してスクリーンに対峙した。そういう意味では、予想通りのレベルのものは見せていただいたが、傑作といって唸る感じではない。是枝監督の映画としては面白い方かもしれない。それは、坂元裕二の脚本の構造をうまく具現化したということだろう。坂元脚本で、こういう全体が社会性を持ったものは珍しい気がする。テレビドラマではこんな感じのものは求められないだろうし、ラブストーリーでもない。だが、映画脚本というものを意識して書かれた作品のようには感じた。「花束みたいな恋をした」と比較しても、映画的な世界がそこにはあった。

この後、ネタバレたっぷりです。見る予定の方は避けた方が良いです。

同じ時間が繰り返される映画である。3回繰り返されるが、2回目が始まって、これは3回目もあると思った。そのくらいわかりやすい繰り返し構造だ。ある意味、それは裏切りのない映画だということ。最初に親の目線で事件が語られ、次は教師の目線で語られる。そして、最後に子供の視線で何が起こっていたかが語られ、全ての時空が繋がるわけだ。そこに、人の思い込みみたいなもので世の中というのは勝手に流れていってしまうということが描かれているわけだ。それはわかったが、この映画、そういうことを言いたいのなら、あまり面白くないよね?と私は思った。

この映画の主人公は安藤サクラと永山瑛太のような、キャストの並びで描かれているが、実際は子役2人、黒川想矢と柊木陽太が主人公である。まあ、それがわからないようなキャスト配列であることが映画をミステリアスにしているのは確かだが、そのミステリアスさも終わってみればもう一つコクが足りない感じだし、ブラックコメディと考えて作られているなら、ラストの少年2人が走っていくシーンは爽やかすぎる。これは、是枝監督が少年たちを撮るのが上手いこともあるわけだが、それに重ねるように坂本龍一の音楽が爽やかすぎるのだ。何故、彼を使ったかは知らないが、亡くなったばかりであり、「良い音楽でしたですね」という評価しかここには書けない。

まずは親の目線で話が進むから、学校の中で何があったのか?いじめがあったのか?とかいうことはわからず、先生たちの煮え切らない態度に、観客は安藤サクラと一緒に親の目で、「最近の学校は」とか思うわけである。とりわけ、校長の田中裕子の、役に立たなそうな校長の演技は観客に怒りを覚えさせるのにとても有効だった。そして、担任の永山瑛太に対しては、ただ、キャバクラ好きのダメ教師くらいにしか見えない。ただ、後から考えるとおかしいのは、何故に面接の時に永山は飴を食べたりしたのか?後で、永山がそんな性格な教師でないことがわかるから、このカットは不思議だ。まあ、坂本脚本はいつもそういうところがあるから、スルーしていいのだろうけど・・。しかし、ここまでで安藤は何もわからずに可哀想すぎる。

そして、次は永山の側から描かれるわけだ。永山は児童をいじめたりしてないし、至って真面目な教師だ。だが、キャバクラなどいってないのに通ってるみたいに噂されるのは何故なのか?その噂の源泉も知りたかった。そして、彼には恋人の高畑充希がいて、最後には、彼のことが記事になってしまい、週刊誌が来たりしたので、出ていってしまう。この高畑の描き方も中途半端だし、必要か?というところがある。ここも、坂本脚本らしい。結局、永山も児童が何をやっているのか全く気づかない。そして、熱くなってそれを追いかけない教師であることがここでは大事なのだ。だいたい、柊木が常時いじめられているのもわからないのだから仕方ないというところだ。子供達はこういう見つからないいじめをするのが得意である。私も、小学生の時、数人のクラスメートからいじめを受けたことがある。そんなことを思い出させるリアルなシーンだった。同じようないじめを繰り返すことは陰湿でしかない。ただ、相手が泣いたりするのを楽しんでいるのだ。そういう意味では、この映画での柊木の相手にした態度は正解である。あと、映画とは関係ないがこの監視社会の中で小学校の教室の中にカメラがないのも今となっては不自然ではないだろうか?まあ、カメラを設置すれば、そこから隠れていじめることを考えるのが子供だろうが・・。

そして、子供のシークエンス。ここで主人公の本心が語られていくし、前に見せてあった不思議なことがうまくつながっていく。でも、永山が飴を食べたのはわからないですよ。そして、放火犯は柊木だということもわかるし、黒川が柊木を好きだったという、ボーイズラブ的な展開に至っては、こういうのが現代なの?とか思ったが、二人が遊ぶ、昔の電車の車両は秘密基地であり、そういう場を作って二人を説明する感じは、おじさん2人で作った映画という感じはした。この映画の中にはテレビゲームというものが出てこない。

映画としては、ベテラン2人の腕にかかってなかなかまとまっているが、最初にも書いた通り、描きたい現代の人間の在り方みたいなものの批判はあまりできていなかった気はする。強いていうなら、最後に映画を全て持っていってしまったのは田中裕子だ。彼女が「嘘をついた」と吐露する黒川に唯一味方してくれる。その前までの、自意識がない感じの演技があってこそ、ここが生きる。田中裕子、恐るべしである。

まあ、映画の言いたいことは、この世の多くの人間の脳みそが豚の脳みそに入れ替わってしまったということでしょうね。特に政府与党は全員が脳みそブタでしょう。脳みそを豚にしたら、自民党員になれるというのがここでは描かれているわけです。

見終わった後でネットの評価を読んでいく。結構評価は高いが、はっきりダメという人もいる。まあ、私の予想通りだ。こういう映画は、いつもアニメ見てる若者には届かないだろうから、彼らも併せたら、この映画が傑作だと語り継ぐような人は全人口の5%くらいだろう。それが、日本の実写映画の実力だと思う。まずは、若者を実写映画に向かわせる努力をしないといけませんね。


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