「あの頃、文芸坐で」【2】わが青春の秋吉久美子
「ぶんげいしねうぃーくりぃ」には、毎週、映画館で働く人たちの雑文が載せられていた。それは、それでいつも楽しみであった。当時は、こういうミニコミの文章や、広告のキャッチや、テレビの一言にも、今以上に感性が揺さぶられた時代であったような気がする。
今のようにインターネットがある世界ではなく、都内の映画館を旅するには、「ぴあ」や「シティロード」を持って歩いていた時代。今考えれば、雑誌の中に、あの情報量を入れ込んだことは画期的であった。ある意味、エンターテインメントを消費する方法を変化させたという事実はもっと語られていいことだと思う。まさに雑誌がネットを作っていたのだ。ここで語るのは、そんな時代のお話だということをお忘れなく。もちろん、携帯など存在しない時代。世の中は、そんなに自分勝手ではなかった時代だ。
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ちょっと、番組を眺めると、「炎上」と「金閣寺」の二本立てはわかるが、「彫る」と「不毛地帯」の二本立てでタイトル「カナシキ人間模様」というのは、かなり無理やり感がある。映画館側でも、こういうの楽しんでたんだろうなと思う次第。オールナイトで、「理由なき反抗」「おもいでの夏」「ラスト・ショー」「茂みの中の欲望」という四本立てがある。すごく観たいと思ってしまった。タイムマシンが欲しいですな。テレビでだらだら流すのとは違って、一つの定型としてプログラムを観客に提示するということがいかに大事かということを、こういうの見るとつくづく思ったりする。いつ、どこで、誰と、どういう状況で観たかというのが思い出になってるんですよね。街や映画館ひとつひとつに個性があったから、そういう記憶が残っているわけで、今の金太郎飴みたいなシネコンじゃそうはいかないですよね。
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これは、昨日のプログラムから、2週後のもの。文芸地下で「あにいもうと」と「十六歳の戦争」を観ている。番組タイトルに「妹よ!」とある。そう、秋吉久美子という女優のイメージは、この頃までそんなイメージだったのかもしれない。危なっかしい、コケイティッシュな妹。そして、ヌードに理想的な女性像を抱いた男たちも多かったはず。そして、不思議…。
彼女のデビューは、斉藤耕一監督、高橋洋子主演「旅の重さ」である。この映画の主役オーディションを受けて、脇役でデビュー。高橋の演じるヒロインと対峙する岩波文庫を愛する少女を演じる。その時から、秋吉久美子は独特の印象を持って、今に至る。
そして、初主演作品がここで観た「十六歳の戦争」(松本俊夫監督)である。今になると、あまり内容を覚えていない。覚えているのは、主役の下田逸郎の籠もった声の下手な演技と、秋吉の肉体だ。映画としては難解だったということで、一回お蔵入りして、これを観た前年に公開になっている。秋吉の知名度が上がってのことだろう。
そう、秋吉久美子のデビュー時の印象といえば、藤田敏八監督が撮った「赤ちょうちん」「妹」「バージンブルース」の三作に尽きると思う。私は最初に「妹」を観た。林隆三が兄貴だった。冒頭の崩れ落ちそうな東西線の早稲田駅が印象深い。そして、落ちぶれた学生街の定食屋。秋吉を探し、おでん屋台をひく林という最後。奔放な妹役の秋吉はスクリーンの中で自由だった。「赤ちょうちん」は「神田川」の映画化権をとれなかった日活が作った同棲ものである。ここでは、最後、秋吉は狂ってしまう。そして野坂昭如の歌をモチーフにした「バージンブルース」浪人生の話だ。そして、中年との逃避行の末、海を泳いで行く秋吉のラスト。どれも、当時の藤田敏八監督らしいタッチの70年初頭の青春映画であり、フォークソングの流行った季節の中にある。この時代、秋吉に惚れた男たちは山ほどいる。そして、これらの映画が日頃ロマンポルノを封切っている映画館で上映されたことは、秋吉にアンダーグラウンド的な臭いを付けたということもあったと思う。
それが73~74年。当時、東宝で「青葉繁れる」(岡本喜八監督)にも出演している。ここでは、正攻法の学生のマドンナ役である。ここで、当時の東宝がプッシュしていた草刈正雄と初共演。その2年後の1976年に再度共演したのが、ここで観ている「あにいもうと」(今井正監督)である。室生犀星の原作を現代アレンジ、水木洋子の晩年の脚本だが、結構しっかりした映画で面白かった記憶はある。スタンダード画面の中、なんか湿気の多い映画であったことは覚えている。
そう、多分、これを観た当日も、それなりに満足して帰ったのだと思うのだ。そのくらい、秋吉久美子という人は、強烈に若者にアピールしてきた。いわゆる断崖の世代から、しらけの世代に入り、秋吉的な浮遊感のある行き場のわからないような自由を求めていた感じがある。
ちょうど、これを観た1977年のNHK大河ドラマは「花神」であった。秋吉はここで、中村雅俊扮する高杉晋作の女「おうの」を秋吉スタイルで演じ切る。私は、今でもその印象が強い。そう、この当時、若者の一部が知る秋吉久美子から、全国区になって行ったと言ってもいいのだろうと思う。そして、70年代後半という時代を女優に例えるなら、秋吉久美子と言っても過言ではない気がする、今日である。
80年代に入り、秋吉は、森田芳光監督デビュー作「の・ようなもの」、柳町光男監督「さらば愛しき大地」などで、新鋭監督とともに本格女優の道を歩いて行く、だが、今年、66歳の彼女の雰囲気は、その頃のままである。そう、「の・ようなもの」の風俗嬢は、そのまま、自由気ままに全国をや世界をブラブラしたままに、時空を越えて今にいるようでもある。
まだまだもう一花、女優として代表作をスクリーンに焼き付けてもらいたい女優さんである。
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