ドリカムの「YES AND NO」。グレーゾーンな心で生きる様を詞の中に埋め込んだ世界。
ここ2、3日、ラジオの向こうから、何回か流れてきたこの歌。前に聞いたことがあるようなメロディだが、そこで歌われる詞は、端々に「えっ!」という感触。DREAM COME TRUEの新曲「YES AND NO」。この題名にあるような矛盾が詰まった現代に生きる人々への問いかけである。特にSNSなどで知らない人の言葉を許せないという気持ち。なら、自分は許せるのか?こんな欺瞞を毎日抱えているのが2020年の今のような気がする。
メロディーも、何か心の中をグルグルするような叫びが繰り返される感じ。吉田美和と中村正人がコロナ禍の世界の人の心の状況を代弁しているようでもある。だが、この歌、7月16日から始まる石原さとみ主演のドラマ「アンサング・シンデレラ」の主題歌だという。ということは、ドラマの始まる予定だった4月より3ヶ月前くらいには出来上がっていただろうから、コロナがあったからできたという曲ではないのだろう。そう、もう我々はここ2、3年こんな気持ちのままであるのだ。日本の政府は、YESかNOかではなく、YESでもありNOでもある的な矛盾を抱えながら、自分たちがやりたい方向に国の流れを動かしている。そして、国民は皆それに麻痺して、怒っているばかりに慣れてしまっていたりもする。
つまり、個人的にはNOだけど、YESだよという感じだ。まさに、王様の耳はロバの耳の世界にいるのだ。そんな、ダメな世界の中で、セクハラやパワハラが問題視されるが、もっと大きな抑圧がかかり続けている感じが現代だよね?とこの歌は大きなメッセージを送ってくるのだ。
そんな、状況は世界的なものらしく、コロナ禍で、抑圧されていた心が外に出てきたのが、「人種差別問題」である。みんなで、そんな昔よりよくなったよね?と言われても歴史は消えない。それは、子供の頃、虐められていた私が、虐めていた加害者を絶対に忘れないし、今でも殺意を持っていることでもわかる(殺しはしないが、気持ちはそのままだということです)。大人になって、ビジネスの中で、抑圧された実態やそれにまつわる言葉も私の心の中には今でも怒りとして残っているし、それが生きるパワーにもなっている。多分、それは人間が集団として生きて生きていく以上、絶対になくならない心持ちであろう。
だから、YES AND NOという全く逆のものが同一視される世の中は、すごく生きにくいのだ。誰かが抑圧されることで独裁的な流れがあるという現代の日本はそんな感じだ。一気に流れが中国側に流れた香港の問題も同じだと思う。
この詞の最後
YES AND NOじゃない 私だけの YES OR NOを
手にする日を思い描こう そこから始めよう
とある。ドリカムらしい希望の果てに曲は終わる。
気になった方は、何度もこの曲をリフレインして聴いて欲しい。私はそうした。とにかく、日本の今の多くの人が同じ状態にある気がする。そして、未来のYES OR NOを今選びながら前に進む転換期でもある。
この日曜日の都知事選もそんな選挙であると思う。現状維持で利権者は様々なものをグレーのままに前に進めようとする。グレーだからまあいいかではない。グレーは鼠色である。