「あの頃、文芸坐で」【51】軍艦島とボタ山と…。九州の映画2本「純」「青春の門」
三日連続でこの不定期連載をつづる。ネタがないということだ。とはいえ、この連載も50回を越えた。学生時代の映画の記録をみながら書いているのだが、本当に映画館にはよく通っていた。その結果が、今も自由を求める生活をしている私である。未来も人生も、前もって詠めるような物ではない。占い師が何を言ったって、未来は変えられない気がする。ということで、占いに行く金があるなら、映画館に行った方がいいと思うのですよ。人生に立ち止まって色々学べますよ。それは、今も映画館を出るときに私が思うことです。
この日、1981年7月4日。「純」と「青春の門」の二本立てを観る。プログラムに第28週とあるが、第27週の間違いである。ミスプリしても直す時間はなかったのだろう。そして、この週から文芸坐だけ450円に値上げ。洋画のフィルム代が値下げを許さない状況にあったのだろう。映画館は配給元の言いなりということだ。
* * *
コラムはドストエフスキー没後100年のル・ピリエでの演劇の話。考えれば、映画と演劇の話が一緒にできる空間って今ないですよね。その上、コンサートとかもやっていたわけで、文芸坐は本当に文化的空間だったのだなと今になって思うのですよ。今だって、シネコンのスクリーン一つ潰して演劇の上演やってもいいと思うんですよね。そういう自由な文化空間ができる未来に期待します。
* * *
プログラムを見ると、新しいのは「最前線物語」と「マッシュ」の戦争二本立て。そして「ヘアー」と「ラスト・ワルツ」のミュージカル二本立て。文芸地下は、「ロマンポルノの新しい担い手たち」。今も活躍する、ロマンポルノの監督たちが新しく出てきたことに、素早く反応する文芸坐というところでしょう。オールナイトは、瀬川正治監督の喜劇5本だて。昔は、テレビでもよく放送していた物ですが、ほとんど今は見る機会のない物ですね。
* * *
そして、この日観た二本に関して
「純」(横山博人監督)
この作品は、先に文芸地下でナイトロードショーされたもの。最近は、ミニシアターでのナイトロードショーは珍しくないが、この当時はそういう形態は少なかった。映画は、映画館に普通にかかって、一日中、同じ映画がかけられるのが普通だった。フィルムでの上映では、今の「鬼滅の刃」のような上映もとても無理な話だったのだ。
そんな環境で公開されたこの映画。内容は、軍艦島出身の青年が東京に集団就職で出てきて、漫画家を目指すも、痴漢行為に陶酔していくという話。正直、私は暗い青春の話にしか見えなくて、当時の評価もあまりよくない。主演、江藤潤ということで、「祭りの準備」みたいのを期待すると痛い映画だ。ヒロインは、今もご活躍の朝加真由美。当時はグラビア崩れ的な印象(失礼!)でスクリーンでは生えなかったと思う。ただ、当時の軍艦島でロケをしているところは、貴重な記録フィルムとなっている。
「青春の門」(深作欣二、蔵原惟繕監督)
五木寛之原作の二度目の映画化である。もともと、五木氏はこの話の主人公、信介の両親を、高倉健、藤純子でイメージしたと言われている。ということで、東映で撮るのが本筋だったのだろうが、一度目の映画化は浦山桐郎監督の元、東宝で撮られた。当時、中学生だった私は、原作を好きで読んでいて、映画化された作品を観に行ったが、それなりに楽しめた。しかし、巷の評判はそれほど高くなく、結果的には第2部までの映画化で終わる。
だから、この時の映画化には、その先まで映画化してほしいという思いもあったのだが、最初から二人監督ということもあり、イマイチだった。信介の両親はこの時、菅原文太と松坂慶子だが、それが東宝の仲代達也、吉永小百合に勝てた感じもなく、荒い映画の印象だった。ということで、私は東宝版の方が映画としては好きである。浦山桐郎監督の仕事の方がしっかりしているということだと思う。結果、こちら東映版も第二部自立編までで終了。原作はその後も続き、もうすぐ完結らしいのだが、五木氏が年齢もあり、書き切れるか?という問題がまだある小説である。
時代が時代なので、映画化で全編映像化は難しい気はするが、Netflixみたいのもある時代だ。是非、全編映像化を希望します!
時は7月。テストを前にした時期だと思うのだが、よく映画を見ている。大学は二の次だったのだが、人生の前も見えなかった、私の青春の門がこの時代だったのでしょうね。