ロマンポルノと対峙した日々(「あの頃、文芸坐で」外伝)【9】70年代の女優、関根恵子と、80年代のアイドル、畑中葉子「ラブレター」「モアセクシー 獣のようにもう一度」
1981年の終戦の日8月15日。この時、戦後36年目の夏。考えれば、急激な高度成長に、もはや戸惑いをみせ始めていたような頃だったかもしれない。でも、大学生の気持ちは、天下泰平で、学問よりも遊びに主眼が置かれていた。とはいえ、夏休み、まだ家に冷房がないような状態で、映画館は良い避暑地でもあった。
この終戦の日に、「池袋北口にっかつ」に行く。関根恵子主演、東陽一監督「ラブレター」と畑中葉子主演、加藤彰監督「モアセクシー 獣のようにもう一度」の二本立てを観に行く。この頃のにっかつ封切りは、学生で1100円。高いといえば高いし、安いといえば安い。だが、2番舘、名画座があってのこの値段なのだ…。まあ、古い話だ。
「ラブレター」東陽一監督
関根恵子は、1975年の「青春の門」(浦山桐郎監督)を最後に女優業を休んでいた。その6年後のこの年、復帰。ロマンポルノに出た。監督は、「サード」で多くの映画賞を獲り、前年には「四季・奈津子」を撮った、東陽一。原作は江森陽弘の「金子光晴のラブレター」。実話を元にした話の映画化である。さまざまに話題性があるロマンポルノ作品だった。
金子光晴役に中村嘉葎雄、そのほかに加賀まりこ、仲谷昇という役者を揃えたしっかりした作品だ。私的には関根恵子の肢体によだれを流していたのだとは思うが、この時、まだ彼女は26歳である。まだまだ若かったのだが、デビューの16歳当時から裸になっていたわけで、この時、すごい大人になったという感じで見ていた気がする。
話は、歳の離れた愛人生活の甘い話と嫉妬の話。他人が見ていて面白い話でもないのだが、役者たちのおかげでそれなりの映画に仕上がっていたと思う。当時の東陽一監督の映画は何よりもソフトフォーカスでドキュメントタッチの雰囲気を持ち、見ていて心地よかった。関根は、次の年に「TATTOO(刺青)あり」に出演、ピンク映画の鬼才であった高橋伴明監督と結婚することになる。この展開には、驚いた。
「モアセクシー 獣のようにもう一度」(加藤彰監督)
畑中葉子主演のロマンポルノ3作目。お客が入るということで、お盆興業に登場という感じだったのだろう。畑中葉子が「カナダからの手紙」で大ヒットして紅白まで出てしまうのは1978年。その三年後に、にっかつのスクリーンで活躍しているとは本当に早い展開すぎて、そんなことがよくおこったなと今も唖然とする。私と畑中葉子は学年が同じである。つまり、もう同級生の裸をスクリーンで見られる時になっていたのだ。でも、先に書いた関根恵子が畑中より4つしか歳上でないということは少し不思議な気もする。
話は、美人局をやっていた畑中らが、麻薬密売に巻き込まれる話。こういう話は、アクション時代からにっかつの得意な話だが、この映画自体は面白みに欠けていた。畑中葉子主演はこの後の正月映画がもう一本あるのだが、結果的には面白いものはない。作品的にいいものができたら、もう少し女優稼業が続いたかもしれないという気もする。でも、彼女、今もお元気に芸能活動もなさっているようで、政治発言もなかなかしっかりしているし、同級生としては応援しております。
タイトルにも書きましたが、関根恵子は映画黄金時代の最後70年前後に輝きを見せた女優さんであり、畑中葉子は70年後半から80年前半に歌手、女優としての新しい形を魅せたアイドルというところだろうか?畑中のこういう活躍が、後のAVのアイドル路線にも影響を与えているのは確かだと思う。
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