山口百恵、阿木燿子と宇崎竜童が彼女に与えた3曲(サブスク解禁に寄せてPart2)
サブスク解禁以来、お家の中での「百恵ちゃんまつり」が止まらない。そして、彼女の声が流れる空間がなんて贅沢なんだろうと思える。そして、この世界が、その後のアイドルたちをアーティスティックにしていったということがよくわかる。ここに格好いいアイドルの原点がある。
そして、今回は、有名なシングル曲三曲について書き残しておきたい。あくまでもその時代にいた聴き手として、今考察できることをまとめてみた。私は、歌は普通に歌えるが、音符も読めないし、音楽の論理上のこともよくわからない。普通に「良い」「悪い」という感情が個々に働くだけである。そんな中で、この三曲は、作り手である阿木燿子と宇崎竜童、そして表現者である山口百恵に、まんまとやられたと思った3曲である。いわゆる、ルーティンを破壊された記憶であり、そんなことができたこの時代の話である。
◯ 横須賀ストーリー
「これっきり これっきり もうこれっきりですか」この少し字余りなフレーズの連続を最初に聴いた時に「なんだ!」と思ったのは、この時代の多くの人の感想であったと思う。私の親の世代に言わせれば「変な歌」であった。まさに、インパクト優先形で山口百恵の新しい世界を構築させた1曲である。
先のpart1でも書いたが、この曲が山口百恵、第二章の始まりである。阿木、宇崎コンビとの初めての曲で、山口百恵は大人になったと言ってもいいのではないか?そして、舞台は故郷の横須賀。ちょっとダメな男に惚れるタイプの女が、苛立ちを隠せない。その叫びが、このフレーズの繰り返し。そう、この曲で山口百恵は女になったという感じに書いたが、実際は男から解放される寸前という歌詞である。そう、恋というものの本質を考え出している女がここにいる。「私は、何をやってるんだろう?」というモヤモヤ感からの解放。それが、山口百恵17歳の心と見事にマッチした瞬間に化学反応を起こした。
阿木、宇崎コンビは、この曲の前年、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」で一斉を風靡。ダウンタウン・ブギ・ウギ・バンドは、これがヒットした年には、つなぎにサングラス姿で紅白歌合戦にも出ている。そういうものを時代が許容し始めたということである。「あんたあの娘のなんなのさ?」というフレーズで、曲でもない曲は、そういう結果をもたらした。
それを考えると、「これっきり〜」のフレーズも同じ技なのである。繰り返すことで、歌でないようなものを歌に入れ込んでいく。それはとても新しかった。そして、夫婦で作る、当時は少しイカれた楽曲が、時代が求めていたSomethigだったということなのだろうと思う。歌謡曲のルーティンの形式の破壊であった。そして、高校生のアイドルでしかなかった山口百恵は、この出会いでこの2020年まで記憶に残る歌手になったということである。
◯ プレイバックPart2
レコードに針を落とす。サビに入る前「Play back~」と叫んだ後に、音が一瞬無くなる。最初ラジオで聴いた時に、事故?かと思うレベルの約1秒の間合い。つまり、記憶をプレイバックする間合いの意味をなしているのだが、すごい遊び方というのと同時に、これを聴いた時には、すごい新しさを感じた気がした。「音楽は止めてもいいんだ」ということを学ぶことになったのだ。
この曲は、その当時、NHKでは商品名を言ってはいけないということで「真っ赤なポルシェ」をNHKだけでは「真っ赤なクルマ」と歌ったという話の方が有名にはなっているが、そんなことは大人の事情であり、つまらない話である。
作曲者としては、とにかくも音を止めると皆がどういう反応を示すだろうかという事が最も楽しみであったのではないかと思う。この歌から、流行歌は驚かせてナンボという感じにもなってきたと思う。そして、より一層、歌謡曲のアレンジが複雑に格好良くなっていったのは言うまでもない。
そして、もう阿木燿子の詞は、その世界は、それだけで映画のように濃厚な空間を作っていくように進化していく。そして、それを百恵さんが演じるという形が明確になって、ラストまで繰り広げられるステージに私たちは魅了されていったのである。
1978年の暮れには、彼女はこの曲で紅白歌合戦の紅組のトリを勤める。まさに国民的歌手になっていた。そして、今思えば、この曲で山口百恵は最後のギアをいれた感じがするのだ。
◯ 美・サイレント
それから、約一年後に発表されたのがこの曲である。
「あなたの〇〇〇〇が欲しいのです」
今度は、音はあっても歌詞がない!伏字を口パクで歌うという、多分、後にも先にもこの歌しかないという飛び道具が飛んでくる。
山口百恵は、女優としても、写真の被写体としても、人気を誇っていたと言っていい。スタイルが良いわけではない。どちらかといえば安産型の日本人体型。水着姿にはセクシーさよりも力強さを感じるものが多かった気もする。そして、何か少し思い詰めているような眼差しと、そして厚い唇は、当時の男たちを吸い込んでいった。
そう、伏字の部分をテレビで見せる時に、唇をアップにするのだ。当時は、本当は彼女はなんと歌っているのか?という事が話題の中心になっていたのは当然である。前に書いた2曲もそうだが、とにかく、阿木と宇崎は、流行歌の形というものの本質を変えていったと言っていいのだと思う。そこには、音楽というより芝居に近い演出があり、百恵さんにはそんな世界を一気に自分の方に引き寄せてしまう力があった。この辺りは、後に続くどのアイドルも同じようにはできていない気がする。
そして、この曲、前2曲と違って、すごく艶っぽい楽曲である。とにかく一曲毎に、様々な百恵を見せていくという仕事は、この夫婦にとって、今振り返っても、最高に面白かったのではないか?と思うのです。
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山口百恵という人の話で、今更こんなに書くとは思わなかったというのが実際のところだが、もう曲を聴いていくだけで、筆が進んでしまった。今のJ-Popを語る上でも、アイドルを語る上でもここに源泉がある感じである。そして、本当に誇らしい同世代の歌手であると思った。この前は松田聖子を同世代と呼んだが、山口百恵と松田聖子は歳が3歳しか違わないのですよ。