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「きさらぎ駅」人生そのものが異空間エレベーターのような気がしてくるホラー映画

大体、ホラー映画というものに関しては、ほとんど興味がなく、そういうもので好きな映画もないと言っていいだろう。強いて言えば、「エクソシスト」や「キャリー」などは、好きだったりもするが、あまり進んでそれを見にいく人ではない。

ネットで評価を見ると、結構しっかりした映画と書いてあったのと、他にみたいものがなかったこともあり、観に行った。結果的に言えば、なかなか丁寧な作りの映画という感想。そして、「きさらぎ駅」って、人生の中でやばいところに来てしまったみたいなこと?逃げ出す時には、一人しか逃げ出せないし、逃げ出した人の代わりには、また、かわいそうな人がピースとしてはいってくるような感じ?まあ、今の日本、ゾンビがたくさんいる組織多いしね。とか、現実の社会に重ね合わせながら見てしまった。そういう意味では、なかなか面白い映画ではあった。

リポーターとして、「きさらぎ駅」の話を体験者に聞きにくる主人公、垣松祐里。体験者を演じるのは佐藤江梨子。はじめ、彼女だとは気づかなかった。雰囲気、シャープになっている。MEGUMIや小池栄子、同様、この人もよく生き残っているし、日本映画の役者として、独特のピースとして存在しているのはすごいと思う。そして、彼女が話し出す体験談が、映像となって出てくるのだが、これが、佐藤自身は出てこない、佐藤の主観映像で綴られる。これは、なかなかうまい表現方法だし、デジタル時代の方法でもあるなと思った。デジタル時代ということでさらに言えば、撮ったものにエフェクトをかけて、画面のトーンを変えて、CGなども使いながら化粧している映像がなかなかホラーとして不気味感を出している。こういうのは、現代の映画だからこそできる技であり、この映像のトーンと音の挿入の仕方で、映画館を異空間にできることは、監督としては快感なのだろうと思ったりする。そういう意味では、今の映画監督というものは、映像技術でどこまでできて、それをどこまでイメージできるかということが非常に大事だ。カメラマンの腕で映像の質がある程度決まっていく時代ではないのだ。その部分の認識みたいなものを高めるためには、ホラー映画って、良い素材なんだなと関したりもしたわけだ。こういうの見ると、明らかに監督の素養が変わってきていることがわかる。

話の中にある、血管みたいなものが攻めてきて、殺されるような話は、曖昧ながらもゾンビみたいなものに変容する社会ということなのだろう。吸血鬼の存在が出てきた頃から、こういう食われたものが、その物になるような話は、まあ、説明なしに怖いわけで、ただ。この「きさらぎ駅」周辺が映画としてテーマパーク的に面白くできれば、映画としては勝利なのだと認識した。こういうの見てしまうと、やはり「マタンゴ」の再映画化は絶対やるべきだと思ったりするのですよね。

そして、そこから、帰還するまでの佐藤の話を聞いた垣松は、自分でその「きさらぎ駅」に行こうとする。つまり、この映画は、よくある、繰り返し映画なわけだ。そう、同じロールプレイングゲームを2度やるということ。そして、今度は、映像のトーンも変えてくるし、主観映像ではなくなる。そう、比べれば、話の流れを知っていることもあるが、主観映像の方が、怖く造られているのは明らか。ある意味、頭を働かせて、なんとか脱出まで進もうとする垣松の最後の在り方が、ある意味、人生の教訓みたいなまとまりかたで、なかなか恐ろしい感じにまとめられていた。そう、答えを知っていても、その通りにはいかないのですよ。

そして、二人と旅を共にする女子高生が本田望結。まだ、18歳なのですね。あまり特徴のない女子高生役だが、同じことを違う感じで二回演じるわけで、それなりに難易度の高い役。それなりにこなしているのと、何かずーっと不安げな顔の表情が、この映画の空気感を作っていた感じではあった。

そう、話は、シンプルなのだ。異空間エレベーターに乗って「きさらぎ駅」に入ったら、そこは簡単に抜けられない。それは、ただのお化け屋敷とか出られない迷路みたいな物ではなく、代わりの人がそこのハマれば逃げられるみたいな世界。実際、現在の世の中や組織って、そんな感じの部分がありますよね。そう、現実社会で、食わなきゃいけないので都会で揉まれてるうちに「きさらぎ駅」に着いて、帰れない人はいっぱいいますよね、と思いながら映画館を出ました。

とにかく、ホラー映画って、映像を色々いじりたい人には凄い勉強の場なのだということを再認識させられました。脚本はある程度シュールでいいわけだし、映像と音の融合でどこまで異空間を作れるか?ここは、これから、もっと突き詰められていくところなのでしょうね。


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