「ファミリア」家族と外国人との共存と未来への夢みたいなテーマがもう一つ散漫に感じるのは残念なところ
監督、成島出。脚本はいながききよたかのオリジナル。その題名にあるように、今、家族とは?という映画なのだろうと思う。主演の役所広司の役も、決して家族に恵まれて育った人でないし、その息子の吉沢亮の役にしても、母が死んでいないわけだ。そして、親を失ったブラジル人。そのブラジル人に家族を殺されて逆恨みしているMIYAVIという構図を見ても、まあ、現代の家族の受難みたいなものを表現したかったのはわかる。しかし、今ひとつ話が魅力的に感じないのと、その歯抜けした家族がまた死んでいくみたいな感じはあまり私的に受け付けなかった。まあ、60年代の日本映画には、こういう流れがあったような気もするが、2023年に人を殺してテーマを表現しようとするのは短絡的すぎる。別にハッピーエンドである必要はないが、ラストに胸に刺さるようなものは無かったということだ。
まず、アルジェリアでプラントを作る仕事をしている吉沢亮が、現地で見つけた妻を連れて帰ってくる。父親である役所はそれなりに喜ぶ。自慢の息子だ。そして、嫁にもなかなかの好印象。でも、吉沢が日本に戻って役所のやっている焼き物の仕事を手伝いたいと言い出す。役所は気持ちが嬉しいが、儲からない仕事に息子を入れたくないというところ。
そこに、逃げるブラジル人がやってくる。最初からブラジル人がこの街に多く住んでいるのは見せてはいるが、唐突に彼らが殴られ追われるシーンを見せられるのは、なんか映画の導入部としてはわかりにくい。
結果的に、彼らがMIYAVI率いる街の半グレ集団に、痛めつけられまともな生活ができていないことがわかるのだが、この辺りの話と吉沢と役所の話がうまくシンクロしていないのが、映画的なバランスも失っている気がした。
やくざに麻薬を売り捌こうとしているところで出てくる松重豊も「必要なの?」と思ったりした。役所の友人の佐藤浩一が刑事なのだが、MIYAVIたちの存在を知りながら、何も手を出せないというのもおかしい。こんな暴走族より危険なグループが野放しになっている地域って今もあるのか?題材が結構社会的な内容なのに、この周辺の描き方はやくざ映画ですものね。最後に役所が殴り込み?に行くところで「孤狼の血」かよ?と思った人も多いはず。
そして、NIYAVIの演技は、ほぼ「ヘルドッグス」と同じ。髪の毛の色が赤から青に変わっただけ。こういう演技だけを求めて彼を使うのは違うと思う。ある意味、勿体無いし、彼に妹の水筒を使って過去を捨てられない男みたいなのはやらしてほしく無かった。彼はもっと異世界みたいなのが似合う役者ですよね。
そして、吉沢亮がアルジェリアでテロに巻き込まれて死ぬという話もとってつけたようで、悲しいだけのお話。そして、役所が金を集めて首相官邸に行くのも必要か?と思ってしまいますよね。家族愛を描きたいのでしょうが、この辺りは空回りだし、吉沢も妻の殺してしまう意味もわからない。
最後は、役所が助けたブラジル人が焼き物を習いたいと言って、新しい家族になった感じのラストなのだが、一観客としては、映画として何を描きたかったのかは今ひとつわからなかった。
そう、移民や外国人に対する日本の差別的な感覚はある意味、世界一醜いかもしれないと思うところもある。一民族の島国根性がDNA に深く染み込んでいるからだ。その辺りにもっとフォーカスを当てた話にできなかったのか?と思ったりしました。演出にそこそこの力があっただけに残念なところでした。