見出し画像

「ジュディ 虹のかなたに」人生の最後に他人から愛される生き方こそ、神がくれた最高のご褒美

私はジュディ・ガーランドに歌手というイメージがなかった。もちろん、オズの魔法使いのドロシーであり、その中のOver the rainbowは知っていたし好きな曲である。

特にここで描かれる47歳の若き晩年の話も全く初めて知る話である。薬が原因の死というのは聴いたことがあったが、若い頃からのそれだとは知らなかった。そして、彼女はゲイの人々のアイコンだということももちろん知らなかった。予備知識としてそれを聴かないでいたら、中に出てくるゲイカップルの意味も理解できなかったくらい、彼女について知っていることは少なかった。

主演のレネー・ゼルウィガーはこれでアカデミー主演女優賞を獲ったわけだが、これは納得である。彼女無くして成立しない映画だ。歌も彼女が歌っていて、これまた納得いくステージが展開される。今は亡きジュディ・ガーランドに捧げる映画でもあるのだろう。

そして、映画全体はロンドンでの枯れた感のある彼女を追いながら、昔の記憶を重ねていく手法。これも、特に説明するではなく、画で彼女の人生を観客に理解させていく。ラストには彼女の人生の重さも観客は感じられる作りだ。伝記映画でこういう手法が日本ではなかなかできない。説明しすぎる映画は映画でなくなってしまうことを知らない人がこういう題材に挑むことが多いからだろう。

そして、記憶の中の少女時代の色彩のテーストが、昔の赤の強いテーストであることは明らかだ。これもすごく良い効果を見せている。

若くしてハリウッドで注目され、ずっと薬を飲まされ、商品のように使われ、その末に酒にも溺れ、男にもあまり恵まれずの人生。そう、今でこそ彼女は伝説の女優だが、その47歳の人生は、波乱万丈というよりは、うまくいかない人生だったのだろう。

最初の方で、ホテルの契約解除をされ、子供たちにまともに飯も喰わせられれないシーンは、この映画の彼女の立場を明確にする。そう、歌うことが好きというのではなく、生活のために彼女はロンドンに行く。でも、遅刻や酒の入ったステージで、なかなか同じステージができない。精神的な揺れは観客にストレートに提示される。

ロンドンでも結婚をするが、家を建ててやると言った彼は、契約に至らず彼女はまた荒れる。ここで出てくるジュディ・ガーランド劇場というネーミングライツで映画館を作るという計画は本当にあった話なのだろうか?

どちらにしても、彼女の歌の周囲にうまい話がいっぱいあり、そして彼女のために本気で動く人に恵まれずにここまできた主人公。実際、いつも私が書いている物作りもそうだが、プレイヤーのことを思って動くスタッフなどほとんど皆無に等しいのだ。一般的には営業という周旋屋がピンはねする世界が世の中のほとんどである。そういう意味では、私もなかなか信用できる人に会えない人生である。

だから、この映画の流れの中に自分をシンクロさせていくと、ラスト、彼女が自分の意思でステージに立ち、そして、彼女の歌を愛する人たちにスタンディングオペレーションされるのがたまらなく感動的なのだ。最後、余韻を残さずに終わらせるのも、よかったです。

先に書いた、ゲイカップルと彼女が食事をするシーンがあるが、これも結構、重要なシーンだ。彼女がマイノリティーの人々から愛されるのは、彼女が同じように様々な疎外を受けて個に籠ることが多かったこともあるだろう。彼女自身も彼らにシンクロするものを見ている感じのシーンになっているのが印象的だ。

彼女の人生の中の多くの重い物を知ってから、最後にOver the rainbowを聴かされると、今までは綺麗な印象しか受けなかった歌が、もうなんかたまらなく重厚な歌に変わっていくのである。LGBTのレインボーフラッグも、この歌から来ているそうであるが、なんか納得してしまった。個々の人生を皆が愛せるようになれば、自分も愛される存在になるということだろう。それは、虹の彼方にあるかもしれないが、掴んでから眠りたいものであると考えさせられた作品でありました。

しかし、主演のレネー・ゼルウィガー、歌が上手い!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?