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New Normalの行方。洗練されたデザインが伴う新しい世界を創る

昨日、久しぶりに郵便局に行くと、窓口には透明なビニールが垂れ下がっていた。スーパーのレジに始まり、この飛沫から身を護るビニールが売れているらしい。しかし、こういう付け刃的な内装空間は、見てくれが美しくない。そして、空間が美しくないと心地よくないのが人間である。

世の中は、とりあえず6月から、粛清要請は解かれていきそうだが、マスクや上に書いたような防御策は取らねばいけないし、他人との距離感を意識して動くというのは日常のマナーとして考えていかなくてはならない。その新しい日常を “New Normal”と呼ぶ人が増えてきている。ウィルス禍の日常をそう呼ぶことで前向きにとらえるという意味合いがある気がする。

私は5月連休明けから、先の仕事を考えて動き出し、電車にも乗っているのだが、昼間の時間、皆が、暗黙の了解で、ひと席開けて座っていた。以前に考えたら贅沢な話だし、今後、人の数が増えるとどういう状況になるか分からないが、この現象は、人の心の”New Normal”だと思う。それはシンプルでわかりやすく、見ていて綺麗だ。

それに対して、導入部で書いた「ビニール」はどうであろうか?見てくれが汚いものは、しいて言うなら”Old Abnormal” とよぶべきではないか?つまり、過去の状態を無理やり現代の環境に合わせたものである。この状況はあまりよろしくない。景気の悪い中、場末の酒場の雨避けみたいなイメージだ。そう、そのうちにガラス張りにするとかしないといけない。スーパーなどは、レジの無人化が予想以上に早くなる可能性がある。普通にシンプルに美しくするにはその方向だと思う。対面の接客を避けるというのは笑顔が伴わないが、新しい礼儀の形も出来てくるだろう。

実験的にやっていたコンビニの無人店舗も増えるだろう。自動販売機とは違う形で、人を介さない物販が一気に進むのも”New Normal”だと思うのだ。それに付随して、キャッシュレスも進んでいくはず。考えれば、お金というものは、最も不衛生な代物であり、ウィルス伝搬機でしかないのである。そういえば新札が出る話があったが、必要性はほとんどなくなる可能性もある。

あと、マスクは必需品になってしまった。日本では初期のマスク不足から、オリジナルの布マスクを作る人が多々いたが、それももうなくなるだろうとネットに書いてあった。使い捨ての効果が期待できるマスクが市場に出回るようになり、ウィルスを通しやすい布マスクは効果ない上に、マスクなど、所詮おしゃれアイテムではないからだ。そう、マスクはギャングのアイテムだ。そして、もっと耐ウィルス効果があり、繰り返し使えるマスクが”New Normal”になっていくだろう。

あと、マスクに関することでは、他人にあって、誰だかわからないことが多い。そして、すれ違う人の喜怒哀楽も掴みにくい生活環境になっている。これは変質者を見つけにくいことにもつながる。そう、他人との折り合いで、もっと目に表情を出してみたり、マスク越しにも声を出して挨拶し合う必要はあるだろう。だが、犯罪にあった時に相手の顔が記憶に残らない可能性がある。それは”New Normal”でのネガティブな部分になる。

飲食店やカフェの環境も変わらざるを得ない。席間が大きく取れるところがやはり、みなの集まるところになるだろう。特にママ友が集まるようなところは、店内空間を変化させることで大きくマーケットを増やせる可能性がある。もちろん、テレワーク率も結構高いままだろうから、郊外の住宅地の飲食店やカフェは考えて投資すればいろいろ可能性がある。テレワークできるカフェみたいのも増えていく気がする。

それに対し、いわゆるオフィス街の飲食店は、サラリーマンが減って空間にはゆとりができるかもしれないが、商売として昼も夜も、しばらくは思うようにいかないだろう。ここも、いかに新しい生活の状況を掴むかで勝ち負けが生まれてくる感じだろう。そういう意味では、老舗というものが倒れるのもこういう思わぬ不況がきた時だろうし、”New Norman”は”New Survival”でもある。

まずは日常の空間が変化して、次に文化的な行動も変わってくるだろう。芸術や音楽に対しての向き合い方も変わらざるを得ない。ネット空間の中で文化を楽しむことはもっと増えるだろうし、ステージやイベントは全て、今までとは違う楽しみ方が始まると思っていい。私はそこは凄く刺激的な”New Normal”が待っていると信じている。

とにかくも、コロナ禍前の状況を戻そうと考えれば考えるほど、世の中の外に追いやられる時代が来る気がするのだ。ネット内でSNSなどを眺めていても、そういう違和感に感じるような行動をしている人は多い。だから、今この緊急事態宣言解除の前に、いらん事を焦ってやっているみなさんの気持ちも分かりますが、それは、ほぼ何の意味もなさないと思います。そして、焦って行う行為は美しくないのです。

私が考える”New Normal”は、皆がウィルス禍の中で共存できるために、シンプルで美しくないといけないと思うのです。もちろん、本格的にITを使いこなす生活に転換するし、技術と優しく共存できる世界、環境に負担を与えずに穏やかに生きられる世界を作らねばいけないということを、世界中のあちこちで考えている今だと思うのです。その結果、人と人の感情だけが、もっと濃密になれば、ちょっとステキなことが起きるかなと予感しております。

とにかく、私はゆっくりと新しい世界に入り、”New Norman”をデザインする人になりたいと強く思っている今なのです。

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