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「あのこは貴族」女優たちのコントラストの見せ方、東京の街の撮り方が秀逸

「東京は分断された街」というのは、ある意味当たっているだろう。だから、政治家たちは、違う階層の人のために働く気などないのだ。金持ちだけの世界と、地方都市の中の人間関係が似ていると、最後の方で水原希子が言うが、それも妙な話であるが、閉鎖した世界は息苦しい。わかるような気がする。そう、結局、日本の階級意識はあと100年経っても変わらないだろうと私は思う。

ここにある生まれた時から高貴な人々の世界など、私は触れ合ったこともない。だから、面白いという部分もあったが、こういう世界の映画は60年代の黄金期にはよくあったなと、観出してから頭の中に浮かんだ。前半は、高貴な家の売れ残りである門脇麦の婿探しの話であり、後半は嫁に行った門脇が、地方から出てきて自分にはないバイタリティのようなものを水原にみて自分に向き合うことで、イプセンの「人形の家」のような気持ちになっていく話だ。この話、1960年代に撮っていたら、松竹大船調的な処理をされて映画化されていたかもしれない。小津安二郎が、監督していたらどんな映画に仕上げたか?とも思った。

とはいえ、その変わらぬ貴族と庶民の乖離した中での、心の動きをなかなか瑞々しく繋いでいる。そして、女優さんたちの顔がすごくいい。また、東京という街の撮影の仕方がとても良いと思った。華やかであり孤独感がある都会の美しさみたいなものがスクリーンから溢れていた。

原作も映画も描きたいものは、多分、違った環境で育った二人の女の子を並べ、少し触れ合いさせながら、違った世界からも見る夢はあるし、未来へのアプローチの仕方はある。そして、その思うところはそんなに変わらないのではないか?という感じの現代社会に生きる女性に対する応援歌なのだろう。その分、男はここでは分が悪い。二人の女に関わる高良健吾の人格にフォーカスを当てて詳細に描く必要もない映画だ。ある意味、これは女性監督だけが撮ることを許される世界なのだろう。映像は、そんな秘密の世界みたいなものを見事にスクリーンの中に映し出している。

門脇麦、水原希子、石橋静河、山下リオと、女優陣が全て良い。ナチュラルに前向きだからなのか?門脇のお嬢様芝居はとても似合っているし、こういう芝居もできるのかと感心した。あまり、動かない心が、少しずつ動いていく心の機微をよく表現していた。そして、ラストで別れた男と対峙する吹っ切れたような顔も好きだったりする。

それ以上に印象的な芝居を見せてもらった感じがするのが、水原希子である。その容貌から、少しエキセントリックな役が多かった気もするし、こんなに笑顔が印象的な役は少なかった気もする。個人的にはあまり好意的には感じてこなかった女優さんだけに驚きもあった。そう、どちらかといえば、都会的な彼女を富山出身の苦労人にしたのが正解なのだろう。こんなにいろんな顔ができる人だとは思わなかった。山下リオと自転車を二人乗りするシーンはたまらなくよかった。

そう、女たちが喫茶店で語るときのコントラストがいい。過去の事実の挿入の仕方もすごくうまい。心の中に、ふっと湧いてくる過去的な処理は秀逸だった。

特に多くの激しいドラマが展開するわけではないが、現代の日本の中で端っこで生きる女たちの触感みたいなものがとても美しく描かれていた、そして、ここにあるのは時代を超えて通じるテーマだ。だから、これからじわじわと評価されていく映画なんだろうなと思ったりもした。

総合力として、素敵な映画に仕上がっていると思った。そう、撮りたいと思ったものが、ちゃんとスクリーンに定着した感じがする。観終わった後、そして1日たって、なんかニコニコしてしまう作品であったりします。


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