「あの頃、文芸坐で」【12】「新幹線大爆破」予想以上の面白さに絶句した日。
やっと、受験生時代が終わり、なんとか大学に合格し、最初に観た映画が「新幹線大爆破」(佐藤純弥監督)。と「皇帝のいない八月」(山本薩夫監督)。であった。タイトルにしたように、「新幹線〜」の面白さは格別であった。そして、もう一本は落差に疲れたという記憶である。
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まず、コラムには、「地獄の黙示録」の前席指定入換制に対するご意見。当時は、映画館に並んで駆け込んで席取っていたりしていた頃。そして、途中から観て、途中で出ることも可能だったし、二度同じ映画を続けて見たこともよくあった。今の総指定席入替方式など、当時は夢にも思わなかったよね。そんな気軽に入って気軽に出られるのが、映画という文化だったとも言える。「つまんなかったから30分で出ちゃったよ」とかいう会話が普通にあった頃だ。いろんな意味で現在の映画館文化は似て非なるものだとは思う。まあ、今のようなコロナ禍の中では今の指定席制があまり混乱も起こさない要因になるのはいいことだと思う。
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そして、プログラムを見ると、洋画は安定感があるプログラムだが、「天国から来たチャンピオン」と「エイリアン」の二本立てで、タイトルが"Oh!GOOD"っていうのは無理やりすぎる気がする。
邦画は、「大林宣彦の魔術」などというのがありますが、まだ「転校生」発表前、大林映画のこの頃の印象は、エフェクトをいっぱいかけたファンタジー映画監督といったところ。私はこの当時は、それほど彼の映画に違和感はなかったが、好きでもなかった。
オールナイトの日本監督大事典は、熊井啓。彼の評価がまだ高かった時代ですね。でも、もうこの当時「黒部の太陽」は映画館で見る機会がなかった。石原プロが外に出すことをしていなかったからだ。社会性の強い映画が多い中で、「黒部の太陽」はのエンターテインメントとして完成度の高い映画なので、熊井啓を語る上では忘れてはいけない映画だと思う。今は苦労せずに見ることができるので、是非、未見の方には接していただきたい。
そして、黒木和雄監督。映画を見出した頃「竜馬暗殺」と「祭りの準備」というのは、ATGの映画の力強さを感じた二本だった。今に至るまで、印象深いフィルムである。しかし、一気にこれらの傑作を5本観ることが出来て、前売り600円というのは、本当にここは「映画の大学」というべき場だった気がする。
また、「ル・ピリエ」でAmerican Filmアンコール。ここは、演劇中心の興行も国内外の自主映画もよくかかっていた。考えれば、私の大学時代の文芸坐は最も贅沢なものを多く見られた空間だったかもしれない。最後に友の会の会員募集チラシだが、この頃まだ私は入会していない。そして、初期のこれは特典が多い気もする?こういう会員企画も今の方が貧相な気がするのは残念である。
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そして、受験明けに初めて見たのは「新幹線大爆破」。世の中に叛逆するアウトローの話だが、世の中から外れた感情が高かったこの頃には、映画の根底にあるイデオロギーみたいなものが、私の感情と明確に一致していたのかもしれない。多くの人が知っているようにこの映画、ハリウッドの「スピード」の元ネタである。だが、この映画が75年制作、「スピード」公開が1994年後だから、19年後の話。もう、パクリと呼ぶにも年を重ねた感じだったのでしょうな。
とにかく、スピードを落としたら爆破されるという新幹線に起こった難儀に対し、国も、国鉄も、警察も、一丸になって対応するも、次々に予期せぬことが起こって全てがパニックに陥る話。東映という会社の知力の総力が見える作品でもある。特撮シーンは今見るとちゃちく見えるところもあるが、ドラマの面白さと、高倉健をはじめとした俳優の力で観客を飲み込んでいく。最後に新幹線が止まって解決した後に、犯人逮捕のために事件が継続している嘘をつくことに、事件解決の先頭にいた宇津井健が憤るシーンが私には印象的だった。多分、昔から嘘が嫌いなのである。ラスト、高倉健が散るシーンも私は好きである。最後の方で空港のシーンで出てくる多岐川裕美の美しさも印象的に覚えている。
内容から、国鉄の協力はなかったというこの映画。JRである今なら、違う対応を取ったかもしれませんな。結果的にはお客さんが入らず東映にとっては痛手にはなった映画だが、キネ旬ベストテンでは読者のベストワン。マニアには受けたが、当時の東映の実録路線ファンにはそっぽを向けられたということなのだろうと思う。東映の映画館はやはり封切り館は独特の匂いがありましたね。時はまだまだ、角川映画的な観客動員が見せつけられる時代の前夜。宣伝も少し金をかけたくらいだったろうから、無理もない。しかし、この映画の監督佐藤純弥が後に「人間の証明」「野性の証明」と2年続けて、角川映画を作ることになるのは、この映画があってのことだと思う。佐藤監督がある規模のエンターテインメントをそれなりに撮れる監督だったということは、日本映画史の中でも重要なことである。
山本薩夫監督「皇帝のいない八月」は、もう山本監督自体に勢いのない時代の映画であるし、ブルートレインを使ってのテロ映画という舞台がどうも、エンターテインメントとして中途半端だった印象だった。この映画は明らかに、角川映画のヒットを意識した企画である。バックグラウンドに小説があるのも同じである。渡瀬恒彦、吉永小百合というスターもちゃんと配置しながらも、時代が欲しい映画にはならなかったという印象。
いづれにしても、76年「犬神家の一族」が公開されて以降の日本映画は、角川映画というものを意識する世界に変貌した気がする。角川が映画で金儲けできるという「映画黄金期」の夢を時代に戻してきた感じであった。今に重ねて説明すれば、いわゆる、現代に「バブル」という夢が一瞬戻ってきたような感じだったのだ。そんな80年代初頭の映画と過去の名作を貪るように観続けた日々のお話、ここからが本番である。
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