「狂武蔵」体力の限界に迫るプロレス的なアクション時代劇。まだまだ迫れるものがある気がした。
新しい宮本武蔵映画の誕生と言っていいだろう。吉岡一門との対400人との決闘を77分のワンカットでカメラで捉えるという無謀な実験。予想以上にそれは成功している。だが、やはりカットして映画的なダイナミズムをもっと追求してもいいのではないか?と思う人も多いだろう。ただ、なんでもVFXに頼りがちな昨今、人間の生の疲労感が映像に焼き付けられる感じは気持ちよかった。
この映画に、決闘以外のドラマはない。セリフもほとんどないし、脚本にもないのではないか?あくまでも、セットの中での動きと時間の勝負!単調になりがちな、殺陣をどういう画で見せていくか?そういうデザインと仕掛けとリハーサルに費やされた時間は多いと思う。
映像を見ていればわかるが、西陽が眩しいシーンが何回かある。つまり、日暮れの77分で撮りあげた映画である。普通に考えて、この動きのアクションを続けるのは尋常ではない。ましてや主役は武蔵に見えなくてはいけない。そう考えれば、様々に問題はあるし、いろいろいう人もいるだろうが、まあ、作品として、これを仕上げたことには拍手ではある。坂口拓という人のアクション俳優としてのイカれた部分は十分に見える。
私は、殺陣を見ていて、坂口が絶対的に強い武蔵には見えてこなかった。ある意味、根性で敵を斬っていく感じである。そう、敵との間合いに五輪書にあるような哲学が見えるわけではない。ただ、そこに敵がいるから斬るという感じ。だから、この項のタイトルにつけたように、スクリーンに映ったものは、プロレス的なものであった。考えれば、普通の喧嘩や斬り合いは、見せ物としてはつまらない。それをショー的に見せるのがプロだ。坂口は、それは十分承知の上で、エンターテインメントとしての1対多人数という決闘を成立させていく。
休憩をするところも作り、給水もする。まさに、アスリートとしてのアクションの連続がどこまで可能なのか?それは、カメラを回す方も同様だ。観ていくと、確実に、役者もスタッフも疲れて行っているのがわかる、それを楽しむのもこの映画の見方なのだろう。
これまで、誰もやらなかった、こういう決闘をリアルタイムで見せるという行為を試し、完成させたことは、デジタルで作る時代劇というのは、もっとリアルな方向にも進めるということなのかもしれない。
ただ、武蔵が人を斬ると血飛沫が飛び散るのだが、これが全てVFXのようで、着物についたり、地べたに残ったりしないので、今一、リアルな臭いがしなかったのは残念だった。武蔵は返り血もほとんど浴びずに人を斬り続ける。それは、ワンカットで撮っているためのハンデみたいなものなのだが、この辺りは作品のあり方として弱い。
ワンカットの決闘の最後は俯瞰になる。カメラをクレーンにくくりつけて撮ったような感じだと思うが、これ「カメラを止めるな」と同じなんですよね。多分、一回、俯瞰の画から元の構図に戻すのが難しいということなのだと思うのですが、どうなのでしょうか?
そういう、勘ぐりみたいな感想はいっぱい出てくるでしょうが、時代劇の作り方というものを一歩進めた感じは面白かったです。そして、この映画を観て、こういうアクションを本気でやる人が増えればいいなと思った作品でもあります。デジタルとはいえ、映画とは身体使ってナンボという世界ですよね。
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