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「AIR/エア」スポーツビジネスの転機をうまく再現しているが、シューズの技術的な部分も描いてほしかった

今では、ナイキというメーカーは日本でも知らない人がいないというところだろうが、この映画の主役でもある「エア・ジョーダン」が発売されるまでは、やはり、我が国でも「アディダス」や「コンバース」の方が認識度は上だっただろう。そのマーケットを一気に変えたビジネスギャンブルの物語である。

多分、ナイキの全面協力のもとに作られた映画だろうが、はじめの方は古いドキュメントを見せられているような感じで眠気が襲ってきた。主人公のマット・ディモンがアポなしでジョーダンの母親に会いにいくあたりから、ビジネス映画的な面白さが出てきて、契約が決まるまで一気に見させる感じにはなっている。とはいえ、ジョーダンを演じる俳優をカメラの主眼として捉えることはしないし、バスケットボールをやるシーンもほぼ出てこない。(大学時代のビデオを何度も見返すシーンだけである)この辺が、この映画を見にきたバスケットファンにはイライラを募らせるのではないか?と思う。

そして、私のようなものづくり大好き人間は、エア・ジョーダンのシューズそのものの開発シーンがもっと出てくるのかと思いきや、デザイナーの話だけで、いわゆるこの靴に秘めた技術的な話は皆無であった。ここはすごく不満。私は、いわゆる、ドラマ「陸王」的なものを考えていたのですよね・・。

時代は1984年。つまり、「ロスアンゼルスオリンピック」が開催された年。多分、ここでのオリンピックのビジネス化により、スポーツビジネスの幅は広がりそのマーケットも大きく広がったと言っていいのだろう。オリンピックは冷戦化の代替えの戦いというよりも、資本主義の戦争に置き換えられていったと言っていいい。そんな中でナイキは、他のメーカーに比べ大物アスリートを傘下に入れることができずにいた。「大物アスリート=ビジネスの拡張」というようなわかりやすい図式の中で、バスケットボールの担当であった主人公は、まだ未知数の中であるもののプロ入りする逸材のマイケル・ジョーダンを標的にする。

だが、ジョーダン自身は、もう他メーカーと契約することがほぼ決まっていて、連絡さえ拒まれる状況。そんな中、主人公は直接交渉に自宅に行く。アポなしで来た無礼者に対し母親はなるべく話をさせないように進める。その会話の進め方を論破するでなく、うまくプレゼンができるように持ち込むところは、今ひとつよくわからなかったが、とにかくここで彼は母親にそれなりに認識されたということだろう。彼がここに向かう前に、黒人家族は母親を味方につけろというような話がある。その流れ通りになったということだ。

そして、プレゼン。彼のための靴をデザインするところ。ここで、色彩の話は出てくるが、いわゆる機能性の話はあまり出てこない。いまだに機密もあるのだろうが、この辺りがこの映画の減点部分だと私は思う。大体、選手の名前がついた靴を作るのに、彼にあった機能性みたいな話がないのが不自然だ。本当はそういう話も十分にあった上での契約だったと私は思うのだが・・。

そして、最後は母親が、靴の売上の幾らかのパーセンテージを欲しいという、前例がない話を持ちかけ、それを飲むことにより、このビッグビジネスは成立する。ある意味、あまり紆余曲折がない話で映画にするにはインパクトにはかける感じであった。とはいえ、まだ緑の文字が出るだけのパソコンが並ぶデスク。携帯のない社会は、ここもある意味時代劇である。このストーリーが、今のスポーツビジネスのひとつの転機となったことは事実なのだろうが、やはり、バスケットボールをやってるシーンがないスポーツドラマは、もう一つエキサイティングではなかったとしか言いようがない。

あと、会社内の人間関係みたいなものも今ひとつわかりにくく、ビジネスドラマとしても今ひとつわかりにくい感じはしましたね。ある意味、この題材を勿体無い映画にしてしまった感じでしたね。


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