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「川っぺりムコリッタ」人は生きているだけで、本当に感謝だと思える空気感が堪らなく素敵である。

荻上直子監督、久々の長編映画。ということで、かなり楽しみにしていた作品。昨年はテレビで「珈琲いかがでしょう」が放映され、荻上ワールドの、人間の趣深さみたいなものを描く手腕はさすがだなと思っていたからなおさらだ。そして、「珈琲〜」の主人公も過去の荒んだ自分の人生を抱えながら、現在を生きてく感じだったが、この映画の主人公、松山ケンイチも似たような部分がある。こういう人間の本質を描くのが好きなのでしょうね、荻上監督。そして、「かもめ食堂」とか「めがね」と似た部分もあるが、また違った人間たちの交わりの面白さがあるわけで、そういうのが、とても愛おしい。そして、今回はあの世とも話が繋がってるんだから、色々考えさせられたりする。

今回は、小林聡美や、もたいまさこが出演していないので、やはり違う空気感ができている。そのかわりがムロツヨシなのか?ムロツヨシ、この間観た「神様は見返りを求める」が大傑作であり、ムロの代表作になったかと思ったが、ここでも、また違う味を出して、映画を盛り上げている。彼がいるせいで、野菜やご飯がめちゃくちゃ美味そうに見えるのはなんだろう。途中で吉岡秀隆のすき焼きに無理くり加わるシーンも、彼が加わったことでみんなが集まり、実に美味そうな光景。私的に思うのは、食べるシーンを美味しく見せる映画に間違いはないということだ。それは、人間性につながるところがあり、料理や食事の席を大事にする人は「いい人」だと思うからだ。だから、この映画、ほぼ、いかの塩辛と漬物だけの食事シーンなのに、とても食事シーンが濃厚に見えるのは、とても素敵だ。松山の飲む牛乳もとても印象的。ムロが何度も松山に「ご飯を炊く才能あるね」というが、その言葉が、観客のよだれを誘う感じが秀逸なのだ。この映画は、ムロツヨシの出演とそのピエロ的な演技でかなりの部分を繋いでいて、それにより観客は幸せを受け止めている。そう、人間、皆がミニマリストでもいいのかもしれない。

とはいえ、この映画のテーマは、詐欺罪か何かで捕まって出所してきた松山ケンイチが、知らない川っぺりの町にやってきて、周囲の貧乏だが、優しい人々と触れ合いながら、自分の生きている意味みたいなものを確認していく話だ。そう、テーマは広大だ。その上、宇宙人や霊まで出てくるのだから、この映画が描くもの自体が結構な広さであるわけだ。だが、ここにきて時代は「風の時代」が訪れたと言われるが、そういう時代にピッタリはまった映画だという感じが私にはした。「かもめ食堂」や「めがね」などの映画とは、似ていて、全く違う世界が描かれている。監督自身が触感で思うことを書き綴ってまとめたものだろうが、私が最近思うことに近いことを感じた。

父の携帯の履歴から、電話をかけるのは公衆電話。そして、異次元と話すためなのか、ゴミ捨て場に捨てられた昔の電話器たち。そう、そこには他の場所と語るという本質的な電話の匂いがする。多分、そこは映画的にこだわったところなのだろう。松山が公衆電話で「命の電話」と語るシーンはかなり印象的。そして、金魚が宙に浮き、それが魂だというような話。隣の死んだはずのお婆さんと話す松山だったり、最後には、宇宙人を呼んでいたり、そこに現れるイカ。この間見た「NOPE」の未確認物体に似ているが、こちらの方が意味深く見えて、とても有機的であった。

そう、お坊さんも出てくるし、役所で無縁仏を管理する柄本佑との会話も印象的だ。この映画は、人がなんのために生まれてきて、なんのために死んでいくかみたいなことを2時間の中で色々考えさせる映画なのだ。「ムコリッタ」とは生と死の間にある時間だという。この映画の舞台「ハイツムコリッタ」みたいなところに、死に至る前に生きられるなら、それはそれで幸せだろう。いや、ここは監督の考える天国の風景なのか?まあ、天国で墓石を売っている人はいないと思いますが…。そう、この映画は見ていて、最後、とても幸せな気分になれる。それが荻上ワールドなのだろう。どっぷりそこに浸かって、心洗われた感じだ。

ラストのお葬式の行列に、観客も引き連れていく感じの映画なのだ。荻上直子の世界、今回も楽しく見させていただきました。いろんな人におすすめできる映画だと思います。ぜひ、映画館で見ていただきたく思います。


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