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「ノマドランド」今までの物質の時代がなんだったのか?映像の美しさに、人生を振り替えさせる佳作

これもアカデミー賞候補ということで、それなりに期待して観る。予想はしていたことだが、アカデミー賞作品としては小粒な感じはするが、パンデミックの中にある今年のアカデミー賞が時代の転換期と考えるなら、この作品は結構ハマっている感じはした。

とにかく、せつない戦慄の音楽と、アメリカ西海岸の美しい風景が止めどなく、観客の眼に映し出される。原作は、ノマドの人々を描いたノンフィクションだという。この映画自体も、ドキュメント的にカメラが主役のフランシス・マクドーマンドを捉え、周囲の出演者が本当にノマドで生活している人だということもあり、とても不思議な仕上がり方をしている。そして、監督のクロエ・ジャオが描きたいのは、ドラマチックなものではなく、「映像を紡いでいく上で出来上がった世界を見て欲しい」というような問いかけに見える。アメリカ現代社会においての問題点も多く見え隠れするし、人間が物質世界を追いかけるうちに、失ったものが見えてくるようにも感じた。見終わった後、この感情は世界共通のものでもあるのだろうなと思ったりもした。

主役のファーンが出てきて、ノマド生活のなかで最初に働くところがアマゾンだというのもわかりやすい設定である。現代の新しいマーケットの象徴とも言える、大流通現場で働くファーンは、まさに現代デジタル社会の1データとして組み込まれたような様相。そして、そこは駐車場代がいらないというのが魅力の職場だというのは、資本主義社会を痛感させられる感じ。

彼女は「ホームレスなの?」と聞かれると「ハウスレスよ」と答える。日本の中にも、そういう人はそれなりに存在しているようにも感じる。自動車というものが住居として優れているかはともかく、そういう使い方は昔からあり、この資本主義が壊れた中で新時代のジプシーが存在するということだ。そして、そこには高齢者が多いというのは今風。人生を一生懸命に生きてきて辿り着いたところがノマドだということだろうか…。

しかし、アメリカの自然を捉えた映像は本当に素晴らしい。だが、こんなダイナミックな自然の中で人間が孤独に生き続けるのは大変なことだと思う。普通の近代生活をそれなりに維持しながら、もちろん食べることを続けながら、健康でいることは本当にパワーを要する。それをわかっていながら、一年をそれなりに過ごしていくファーンの姿は、人間の不安な心そのものを代弁している。そこにユートピアはないが、過去を背負いながら、生き続けることで何かを今日も学んでいる感じはたまらなく、これから高齢者に突入する私には沁みる。

ラスト、故郷に戻る。そこには、何も残っていない。だが、心の淵にこびりつくものが想起される。人生って、理想とするところにはなかなか辿り着けないものだ。ノマドの人々は、その生活に新たな人生観を求めているのかもしれないが、なかなかメンタル的にも持たないだろうと思う。

ノマドとして家にしている車だって、パンクもするし、さまざまな部位が壊れる。そう、人間が作ったものは簡単に壊れるのだ。そういう部分では、物質文明からは逃れられない。本当に辛い現在である。

見終わって振り返れば、とても哲学的な映画だ。過去、現在、未来という事象を常に感じながらも、常に現実を生きることも簡単ではない。そんな中、ジプシーすることにどういう意味があるのだろう。これからしばらく世界中でこういう人が増えていくのかもしれない。だが、彼らがどこに辿り着くのかは、非常に不鮮明である。

この生き方のいいところは「さよならがない」というセリフがある。いわゆる「さよならだけが人生だ」とは真反対の生き方ということなのか?まだ、数日色々と考えてみようと思ったりする。


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