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「あの頃、文芸坐で」【78】藤田敏八監督特集に70年代初頭の青春像と刹那を観る

1982年5月22日、オールナイト「藤田敏八監督特集①」を観に行く。その前に前回5月6日から、どんな映画を観ていたかを振り返る。5月13日には、上板東映で「流血の抗争」「関東無宿」「紅の流れ星」「けんかえれじい」の4本立て、入場料、学割500円。昼間の番組で4本立てなど、今じゃ夢のようなお話ですね。この時は「関東無宿」と「紅の流れ星」は初見。ともに映画には興奮するも、赤白映画でしたね。大体、当時はまだビデオで古い作品を見るという習慣もなかった頃、ビデオレンタルよりもレコードレンタルの時代だったものね、ニュープリントなど作って得することはなかった時代である。15日には、「池袋東映」で「レイプ」と「ダイアモンドは傷つかない」の二本立て、田中裕子と田中美佐子の二本立てで勝負できた(できなかったとは思うが)時代である。「ダイアモンド〜」が藤田敏八監督だったから封切りで観たと思う。17日はヤマハホールで「人類創生」の試写会。22日、このオールナイトを観る前にイイノホールで「鬼龍院花子の生涯」の試写会を見ている。この当時、五社英雄の演出は結構好きだった。まあ、この映画は夏目雅子の最後の啖呵だけで、十分歴史に残るものになったけどね。
そんな感じの1982年の5月だった。

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まずは、プログラムのコラム。「レッズ」と「黄昏」の話。私は、両方ともよく覚えている映画。映画ってすごく記憶に残るものとそうでないものがある。残るものが傑作ということなのだと思います。プログラムは、文芸坐はフィルムフェスティバルのあと、「木靴の樹」と「ブリキの太鼓」の二本立ての特別興行。今は亡きフランス映画社の2本ですね。こういう映画を配給や公開ができる会社が生き残れないような文化状況は良くないと思います。文芸地下は「モスクワは涙を信じない」と「泥の河」の二本立て。文芸地下での洋画上映は私的には当時、よく思わなかった気がします。そして、その後のフィルムフェスティバル「日本映画の新しい流れ〜新・独立プロ運動〜内容を見るとかなりカオス。独立プロに角川春樹事務所も入ってますものね。オールナイトは3回連続で藤田敏八監督特集。私はその1、2回を見に行っています。

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では、この日観た、藤田敏八監督作品について

「非行少年 陽の出の叫び」(1967)
日活アクションの映画はその過半数、それ以上が「非行少年」を主役にしたドラマと言っても過言ではないだろう。そんな中で「非行少年」という映画が河辺和夫監督で作られたのが1964年。日活的にはそれに準ずる学生が主役の映画としての企画だと思う。そして、藤田監督のデビュー作は、彼を青春映画の大家とする、象徴的な一作だ。少年院を出てきた少年(平田重四郎)がその道から抜けられない孤独と暴走の日々を描くわけだが、ラスト、彼は血だらけで、未来はあるのか、ないのか観客に託す。この終わり方は初期の藤田作品に多く出てくるのだが、それは時代が若者たちに何を求めているのかよくわからない時代だったからだと私は思っている。そして、昨今の若者たちも似たようなところがあるようにも最近思える。この時期の藤田青春映画を今の若者に見せて感想を聞きたいと私は思う。

「非行少年 若者の砦」(1970年)
日活がもはや興行的に切羽詰まった時期に藤田監督はこの二作目をとる。そして、ここからはニューアクションの旗手という感じで独自の作品を作り出す。それは、多分、日活崩壊というのは、藤田敏八という人を目立たせるためにあったようにも感じる。この辺りの作品群の完成度の高さは本当にすごい。この映画は、立原正秋原作、主役の石橋正次とその家庭教師をする地井武男の話。あまり話はよく覚えていないが、若い頃に見て、感じるものがあったことだけは覚えている。

「野良猫ロック ワイルドジャンボ」(1970年)
野良猫ロックシリーズ第2作。長谷部安春が描くそれとは違ったテイストな野良猫ロックだが、私はシリーズの中では一番好きで、話もよく覚えている。一作同様に和田アキ子が客演している。その「どしゃぶりの雨の中で」をバックに雨の中で前野霜一郎が穴掘りしてるシーンが印象的。話は宗教団体の金をせしめる作戦の話。モデルは創価学会に間違いなし。梶芽衣子とともに范文雀が魅力的。その范文雀がラスト水着で撃たれるラストシーンはかなり格好良く印象的。こういう映画が撮れる人なんだと、藤田敏八が本当に好きになった一作でもある。

「新宿アウトロー ぶっ飛ばせ」(1970年)
渡哲也と原田芳雄の組んだニューアクション。記録を見ると、これシリーズ化するはずだったらしいが、興行的にだめだったのだろう。しかし、藤田監督がいわゆる日活のスターを使って作ったアクションはこれ一本だ。そういう意味では貴重なのだが、ラストのヘリコプターの操縦がわからないまま、慌てふためくラストシーンは、藤田映画らしい、彼らの命を観客に預ける図。まあ、なかなか面白い映画ですが…。

「野良猫ロック 暴走集団'71」(1971年)
1971年1月3日封切り。正月映画である。でも、そんな明るさはない。フーテングループが朽ちていく話である。ある意味、学生運動の挫折感が重なるような映画。そして、ラストはほぼ西部劇。若者の夢も見えなくなっていた時代。それを作っている映画会社はもっと夢が見れなくなっていた。藤田のこの次の作品が、日活アクションにピリオドを打つことになるとは誰もわからなかった正月であったのだろう。そう考えながら見ると、色々虚しさが広がる。でも、そんな時代の中で藤田は監督として実に好き勝手に自分の映画を作っていたことがわかる一本

とにかく、この5本の映画、私は全て好きである。私がこういう前が見えないままに朽ちていくのが青春映画と思い込んだのは、彼の映画せいかもしれない。でも、この時期の日本映画は、若者の未来がプッツリと切れていくものが多い。その辺りは、今の若者たちにはどう映るのだろうか?今の朝ドラのオダギリ・ジョーみたいな生き方と言ったらわかるか?無理か?これ書いていたら、久しぶりに、野良猫ロックを全部見たくなってきた。


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