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「あの頃、文芸坐で」【18】「地獄」を映画館で体験する。

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前回の次の週、文芸地下で「地獄」という映画を2本見ている。中川信夫監督のものは、映画史上でも有名で、この後何回か見ているのだが、神代辰巳監督のそれは、できが悪かったのもあるが、これ1回きりで、どう、ひどかったのかもあまり覚えていない。

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コラムは、映画をTVで見ることの違和感の話。この頃はまだ家庭用ビデオがそれほど普及していない頃。レンタルビデオ屋もまだなかった頃である。映画の二次使用ビジネスは映画館上映以外はテレビ放映に限られていた気がする。だから、テレビの洋画劇場が重要な家庭での映画に触れる場だったのである。そして、ここに書かれている、テレビで流されるそれは映画にあらずという話はよくあった。今では、時間が自由に使える家庭では、分割して観たり、早送りで見る人もいる。映画というコンテンツが発表されたら、顧客のものだと私は思っているが、勝手に時間軸を変えられてしまうと、やはりそれは異質なものの気もする。私が今も映画館に通うのは、やはりコンテンツへの没入感、そして不特定多数の人と一緒に見る、共有感みたいなものだと思う。そう、40年経って、環境は変化しているものの、映画館の存在する価値というのはあると思っている。

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プログラムは、前回のものから1週替わっただけである。文芸坐では「ポーランド映画特集」をやっている。アンジェイ・ワイダの映画など、最近、話題にする人もいなくなってしまった気がする。そう考えると、シネコンでも、こういう映画を流すことで映画ファンの底辺をガッチリ掴めるのではないかと思うのだ。過去と現在を行き来できるような映像発信基地が欲しいと思う。

文芸地下は、「社会を告発する!PARTⅢ」の作品が明確になっている。現代のネトウヨたちに言わせれば、全て左翼的な話で、戦争の話などみんな嘘だ!というのかもしれない。そういう声が出ないようにこういう映画が作られ、観続けられているのだ。それが、映画館にあまり流れなくなったあたりから、変わった人が増えてきた気もする。こういう企画を毎夏にやる映画館も復活して欲しいと思います。

オールナイトの「POP・ポップ・’60」4本立て、もう一回、是非観たい映画ばかりですね。夏の夜はコンサートなどというのは、もはや今年は皆が白い目を向ける感じですな。本当に、嫌な2020年、夏であります。

後、「陽のあたらない名画祭」のリクエスト用紙がありました。この頃、このラインナップを見て、知らない映画がいっぱいあるのに驚いたようにおもいます。今見ると、ほぼ、どんな映画かは理解してるし、2/3位は観たことがある作品。年の功ではあるが、映画に関しては、よく勉強したものだと思うわけです。

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そして「地獄」の話、神代辰巳監督の1979年バージョンは、資料を読んでもよく思い出せない。原田美枝子と、久々に栗田ひろみが出演していたのはなんとなく覚えている。閻魔大王が金子信雄だったのは、全く覚えていなかった。まあ、出来は中川信夫版に遠く及ばなかったのだろう…。

とはいえ、中川信夫監督の地獄も傑作というわけではない。エログロ作品で会社を保っていた大蔵貢率いる、新東宝がその路線の中で作った映画が、あまりにも他では作られないもので、中川監督がそれなりに演出しているから今も、普通に観られる作品になったということである。話は、学生の天知茂と田沼曜一、そして教授の娘の三ツ矢歌子の三角関係を軸に地獄と行き来するようなお話。まあ、あえて説明するような映画でもない。でも、地獄のシーンはそれなりに描かれていて、公開当時は結構、観客を怖がらせたのではないか?と思う。こちらの閻魔大王は嵐寛寿郎。当時の新東宝の顔であったからやらせたのだろうが、「明治天皇と日露大戦争」では天皇を演じた役者を閻魔大王にするとは、何を考えていたのか?前にも後にも、この両方を演じたのはアラカンだけである。

まあ、こういうキワモノ映画をよく観ていたのも文芸坐だった気がする。今考えれば、そこはピンキリの映画を幅広く見せる「天国」であったと思うのである。

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