「花束みたいな恋をした」濃厚なテイストのボーイ・ミーツ・ガール ムービー。坂元裕二の集大成脚本?
ネット上には、感想が書けないというような情報が多く流れていた。確かにこの124分の恋愛劇は、正攻法でいて濃厚。だから、思うことは、観る人によって様々な感想が語られそうだということ。そう、この映画で描かれる恋愛の要素の様々な部分が、観客の恋愛体験に被ってきて苦しい感じなのだ。内容はよくあるものなのに、刺さり方はずっと痛い。菅田将暉と有村架純の演技によるところは大きいのだが、やはり脚本の緻密さが見事に映画の力になっている。
テレビドラマ「東京ラブストーリー」が発表されてから今年で30年だ。その30年で坂元氏が書き溜めた恋愛の要素を全て詰め込んでいるような内容。ある意味、映画らしからぬ、セリフの応酬である。昔ならこういう脚本は良い映画にならなかっただろうと思う。ただ、今はデジタルで撮って編集する時代、さまざまに映像を意識的に繋げられる。セリフのリズムに合わされたように映像も綺麗に恋愛を表現していた。監督の土井裕泰は、昨年の「罪の声」とこの映画を見る限りデジタル映画の製作に関しては覚醒している感じにも見える。「映画とはこういうものだ」という古い概念がどんどん崩れ、新しいコンテンツとして変化しているのだ。
内容の話に移ろう。たまたま出会った二人が、たまたま同じ趣味で同じようにコンテンツを消費していたという話だ。ここまで同じ人はいないだろうと思う。男女の感覚は違うし、昨今の媒体の多さを考えたらこういうことは稀である。しかし、そのきっかけが押井守の認識だったというのは、世代としては脚本家の世代の話ですよね。そして、二人はネットの中のディープな話をしない。LINEの応答は映像に出てくるが、その中のコンテンツには触れない。本と映画の趣味で惹かれ合うのは昭和的であり、やはり脚本家の自分を描いてる感じだろう。2015年から以降は本棚を見て相手を知る時代ではないのではないか?相手のPCを見てのそれはあるかもしれないけどね…。そして、同じコンバースを履いているみたいなのも、今風ではない気がする。
でも、多分、それが若い人にも受け入れられるように感じるのは、恋愛のテイストそのものがこの話の主題だからだろう。そして、古臭い恋愛の飾りは、憧れの対象にはなる…。
実際の経験値から考えると、こういう事象で恋愛が始まることはよくあるが、ここまで趣味が被ると、相手に新しい刺激が与えられないから、すぐに飽きる感じはしますよね。男通しでもそういうところはありますものね。まあ、それは、リアルな話であり、あくまでもここに投げられたものはファンタジーとして見るしかない。それで消化できる内容だ。
描きたいのは恋愛の心の震える部分であり、「そこは触るな」的なものを端々にうまく散らしてある。そこのところは、今の20代にも理解できると思われる、時代を超えた内容。だから、見ていて辛くなる部分が多いのである。
途中、菅田将暉が夢を諦めずともサラリーマン生活に入る下りは、少し安易な流れだと思う。イラストレーターとして目指すところも見せないし、「いらすとや」に負けるというのは、描くステージが低すぎるだろう。それがまたリアルなのかもしれないが…。先輩が、「協調性が才能をダメにする」という言葉も菅田にはよくわからなかったということだ。結果的にはサラリーマンとして安定して暮らすということが先になり、楽しいことが後になる。昔のままでいる、有村とは距離ができてくる。ユーミンが詞を書いたブレッド&バターの「あの頃のまま」という歌を思い出した。この辺も、昭和的な青春映画だ。
若者が貧困に陥り、そういう時代感が戻っているのかもしれないが、ここで描かれる表層的な部分はあくまでも1967年生まれの坂元裕二の青春劇に見える。そして、この映画は2020年で終わる。この主人公たちと同じ、今の20代初頭の人たちの受け止め方に興味が湧く映画であった。
ボーイ・ミーツ・ガールの映画は、青春映画の基本である。少しリアルな感情のそれを作りたかったのでしょうね。それはそれで完成度は低くないと思います。恋愛映画は永遠の謎的な題材であり、ここでも、二人の気持ちの最後のスタンスは説明するに難しい。
確かにいろいろ語りにくい映画ですよね。私的には、すぐにリピートできる感じではないくらいハードに感じた映画だった。